2021

無敵だと思える朝と無力だと感じる夜を何度も越えて21歳になりました。

 

 

10代のほんのひととき、死の匂いが身近に漂っていた時期があった身としては成人したときこそ感慨深いものがありましたが、20と21の違いなんて誤差の範疇のような気がします。10代が重い腰を上げて、這々の体で誕生日の壁に向かっていったのに対して、20代は春の野原を駆けまわるような軽やかさでもって4月4日を飛び越えてゆきました。軽やかさ、しなやかさ。人間関係とか、目下の課題とか、今後の人生とかすべて、軽やかに飛び越えて、しなやかに断ち切ってしまいたい。

 

 

よく人から趣味や思考が合うと、こんなに似ている人は初めてだと言われますが、それは私の知識と精神のキャパシティが広いから、合わせてあげているからだよってことに気づかない人が多い。別に普段からこんな驕った考えを持っているわけではないけれど、今は少し疲れているから。人間が多面体であることに気づかない人が多い。性格の明るさ/暗さがひとりの人間に対して極端な方向性でもたらされるなんてあり得ないということが分からない人が多い。明るいか暗いかなんてグラデーションの問題であって、自分をどう見せたいかによってある方向の演出が施されるだけの話でしょう。他人が求めている――であろうと自分が勝手に想定している――自己像に合わせるのに疲れた。私は別にあなたが思うほど明るい人間でも暗い人間でもないし、本心で話していると思わせていることはすべて嘘ですよ。そんなことも分からない人に対して懇切丁寧に向き合うことに疲れた。忌忌しい10代にケリをつけた私はもう根暗とかメンヘラとかいったくだらないカテゴライズに中指を立てたので、激しい愛情のぶつけ合いみたいなのは全くもって必要とせずに、ただただ心地よく品のいい好意の交換がしたいだけなのです。軽やかさ、しなやかさ。何かに導かれるように人生は好転し続けているし、あの日の私が思ってもみなかったような今がここにあるのに、裏表、何もかも間違っていて人生が狂い続けているのではないかという拭い去れない不安が足元で泥濘んでいる。個人としての幸せと、家族としての幸せ、そして社会としての幸せが複雑にもつれ合っていて、何を幸せと定義づけて邁進すべきなのか分からないけれど、20年間なおざりにしてきた自分自身の願望に正直に、この生の落とし前をつけないといけない日が近づいているという強い確信がある。

 

 

「このパーティー、つまんないしふたりで抜け出そうよ」という瞬間の物語的な高揚がすべての恋だった。3日も経てば路傍の石としか思えなくなった。21歳の春は真夜中の都心の大通りのタクシーの隣をそっと通り過ぎてゆく。