共感とは 2

 倫理の授業で第二次世界大戦時の映像を見た。

 

 昨年末のことだった。厳しい冷え込みの中、教室の隅に置かれたストーブの熱だけでは心許なかったので、こっそりマフラーを巻いていたのを覚えている。執拗に繰り返される重厚なメインテーマとどこか冷めた語り手の声がモノクロの映像によく合っていた。現代の哲学は、悲惨な戦争をもたらした近代文明の問い直し、人間の理性への批判から成っている、という理由で見せられたのだった。女子学生はかなり衝撃を受けていて、授業後気分が悪そうにしている子も見受けられた。教室を出て行きながら友人たちと「すごかったな」なんて簡素な言葉を口にするのは、また日常生活へと少しずつ移行していくための儀式のようだった。

 

 帰宅後調べてみると、予想通りNHKの『映像の世紀』から『第5集 世界は地獄を見た』だった。「授業という形式で、全員に問答無用で見せるなんて」と憤っている男子学生もいたが、正直なところそこまで凄惨な映像であるとは思えなかった。観賞中、私は劇伴や同時の生活様式、建物や車などに関心が向いて、深く胸を打たれるということがなかった。そのことに少し呆然とした。

 

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 NHKに『むちむち!』という番組があったのを思い出した。「女子高生の目線で、日本を旅する新しいドキュメンタリー」と銘打たれて始まった番組。東京・渋谷の女子高生を沖縄・普天間基地や四国のお遍路に連れ出し、現場を体験させるというものだった。

 

 普天間基地に連れ出されたのは渋谷の美容系高校1年生の美緒さんと彩花さん。”今風”の女子高生だ。NHKのディレクターは「普天間を肌で感じてもらう旅に出る」「行先は沖縄」とだけ伝える。「普天間」が何かを知らない2人はもちろん喜ぶ。そんな彼女たちが連れて行かれるのは普天間基地、戦争資料館。「頭蓋骨ってアトラクションとかおばけ屋敷でしか見たことない」「そういう気持ちで沖縄に来てたわけじゃないからちょっとびっくりした」と苦しみながら少しずつ言葉を紡ぐ2人。美緒さんは心情の吐露に際して広島弁が出ていたのが、何だかとても自然で素直で、胸に響いた。

 

 旅の本当の目的は「70年前の沖縄戦の悲劇を実感する」ことで、最終的な目的は「遺骨を収集する現場に立ち会う」ということ。NHKのディレクターに「行くか行かないか」を尋ねられた2人。美緒さんは「見るだけ見たい。やるのはちょっとできないかもしれない」。彩花さんは「待機で。死んだ人が興味本位できてほしくないと思ってるって私は思う。興味本位くらいなら私は待機していようと思った」とそれぞれの選択を下す。

 

 30年以上遺骨収集に取り組んでいる具志堅さんと共に、遺骨収集の現場に実際に立ち会った美緒さんは苦痛に顔を歪ませながら「怖い」と先に進むことを拒む。ディレクターに「何が怖い?」と訊かれても「何がって。怖い」と涙を流し、遺骨収集の現場に入れない。「凍りついて動けなくなってしまう。それをどうしてと聞いても答えきれない。何年もやっているうちに、薄れてしまっていた怖さなのかもしれない」「ずっとやっているうちにそういうのに鈍感になっていったのかな」と悲しそうに笑う具志堅さんの表情が頭から離れなかった。

 

 「戦争に巻き込まれないような未来をつくってね。それはあなたたちがつくることができるんだから」とだけ最後に語って、具志堅さんは帰って行った。「聞いたことも来たことも見たこともたぶん嫌でも覚えると思う」と少し怒りをにじませながら語る彩花さん。「”死にたい”とかそういう発言はしちゃいけないって思った。強く。生きたい人も亡くなっているから」と言う美緒さん。

 

 何も知らない惨劇を受け止めるには心の準備がいる。女子高生の”共感能力”への配慮を欠いた番組構成と、横柄なディレクターの態度と対照的に、問題を素直に受け止め、自分の頭で考え、自分の意志に基づいて行動する女子高生たちの知的で純粋な姿に胸を打たれた。「無知な女子高生」にNHKのディレクターが愛のムチを打つ番組とのことだったが、”教養のある”NHKのディレクター陣よりも、女子高生の方が感受性も配慮も思考力も礼儀作法も上で、結局「本当に無知なのはNHKのディレクターの方だった」というなんとも皮肉的な番組だった。

 

 お遍路に連れて行かれた女子高生にもまた感嘆させられた。予想とは違う旅の内容に不満をこぼす女子高生に対して、NHKのディレクターが「じゃあ帰る?」と言うと、「嫌だ。そうやって言われるの嫌い」と答え、何が嫌いかと問われれば「そういう自分が嫌いだから。そういう人が嫌いだから」と断言する。お遍路を”おもてなし”を行う側として実際に体験した旅の最後では「この人たちは当たり前のことを普通にやってるのに、それをうちらがやると”偉いね”に変わっちゃうのがなんか嫌で。なんだろうな、この人たちがやってることを当たり前に私たちができるようになりたい。このお遍路で”偉いね”ばかり言われていた気がする」と涙を流しながら答える女子高生の姿は何とも高潔だった。

 

 「無知」には「おろかなこと。知恵がないこと」という意味がある。しかし、女子高生は決して”無知”ではない。ただ”知らない”というだけだ。『むちむち!』はどうやら初回で打ち切りになっていたようだが、確かに制作側の気持ち悪さを感じた番組だった――のだが、世間の主な反感の矛先は私とは違っていた。「街でスカウトしたちょっとムチな女子高校生に、番組ディレクターが愛のムチを打つ、全体的にムチッとした番組です」という番組紹介に関して、だった。どこか性的なニュアンスを感じさせ、若い女性に対する蔑視、セクハラであるとして批判の声が上がっていたそうだ。男性である私は、その点に関しては何の違和感も抱かなかったので、何事も視点はそれぞれで、無意識の言動がセクシズムを孕む危険性があるのだと再認識させられたのだった。

 

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 『むちむち!』という番組のNHKのディレクター陣を批判したが、前述の倫理の授業中に感じた同級生との”ずれ”は『むちむち!』におけるNHKのディレクターと女子高生との”ずれ”と同じではないかと身につまされた。何事でも知識が深まると、感情の深度は浅くなる。それが体験を通じたものであったなら尚更だ。今年はちょうど戦後70年ということもあり、戦争の惨禍の映像を多く見てきたがゆえの、入り込めなさだったのかも知れない。思えば幼少期の方が何事にも深く共感しやすかったものだ。感動的な本の内容を思い出すだけで泣けたり、インターネットで猟奇殺人の記事を見て数日間気分が悪くなったり。

 

 今回、”共感”というテーマでこの記事を書いているが”共感”とは一体何だろうか。”芸術”と”共感”との交わり、そしてそれにより引き起こされる”感情”に的を絞って書いてみる。

 

 書籍や映画など、物語における共感は、登場人物に自己を投影し、感情移入することで得られることが多く、それにより感情が揺り動かされる。しかし、音楽における共感とは何か。言動が音楽に直結している類のシンガーソングライターの場合は、その人のパフォーマンスの尊さに感動したり、その発言に代弁を得たような気がしたりしたときにファンは共感できる。また、歌詞の情景に、ある思い出を想起したり、自分の体験を重ね合わせたりして共感、感動する形もある。西田幾太郎の言うところの純粋経験で芸術作品を楽しむことなど、普通はあり得ない。

 

 しかし、先日私は共感とはまた別の形で、ある歌手のライブで泣いた。曲を聴きながら、その曲を好んでいた当時の思い出を突如として想起し、現在の自分との隔たりを認識することにより、成長を感じられ、泣いたのだった。言わば、思い出の追体験ができたからだった。曲自体に、また歌手のパフォーマンスに感情移入したわけではなく、曲自体が”鏡”となり、感動したのだ。

 

 私は長らく芸術作品で感動するには共感が必要だと思い込んでいた。しかし、感情移入ができる/できないに関わらず、一連の感情の昂ぶりを引き起こす美しい流れがあり、それが突然弛緩するポイントが設けられ、一定のカタルシスが得られると人は感動するのではないかという考えに思い至った。ライブも終盤に差し掛かる頃だったので、曲順やパフォーマンスにおいて「一連の感情の昂ぶりを引き起こす美しい流れ」を味わい、初めてライブで聴けた好きな曲のイントロが「それが突然弛緩するポイント」となり、思い出のフラッシュバックという「一定のカタルシスが得られ」たために、私は感動したのだ。

 

 しかし、他の曲が”思い出のファクター”となってもおかしくはなかった。その曲で泣いた、ということはその曲に”思い出のファクター”と成り得るだけの力が、そして私がその曲を好きだと思う気持ちがあったから、という前提があるのには間違いない。以前私は「共感とは」という記事において、共感とは”相手を自分に引き寄せて発生させるもの”ではなく、”自分を相手に歩み寄らせて発生させるもの”だと書いた。そうなのだ、”共感”とは、”歩み寄り”なのだった。「共感は自分の意識の範疇を抜け出さないことは確かなのだろう。しかし、それゆえに”自分の側に相手の体験を受け止められる経験の蓄積が”ない場合でも、分かり合おうとすれば、歩み寄ろうとすれば、共感は必ず生まれるのだと思う」と、ちょうど一年前の私はそう書いていた。共感がなくても、感動できたのはその曲に”歩み寄れる”だけの愛着があったからなのだ。都合よく考えるとすれば、そこで私は過去の自分自身に”共感”したのかも知れない。

 

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まるで自分で見て聞いたように
話す奴ばっか
画面の向こうの悲しみの
一体何を知ってるっていうんだ

 

ネットもニュースも僕らも
毎日忙しい
ほんとか嘘かを放っぽって
騒ぎ立てる鳥の群れ

 

言葉はひどく罪深い
一番簡単な武器だ
名前のない怪物たち
名前が欲しくて振りかざすけど

 

巷にあふれる噂の陰で今日も死んでゆく誰かの名誉

 

 

(日食なつこ「ヘールボップ」より抜粋、引用)

 

 

 細い山道を車で走っており、カーブでうまく曲がり切れずに落ちてゆく――という類の夢を近頃続けて見た、という話を友人にしたところ、「バス事故のニュースを見過ぎたのではないか」と言われた。あまり真に受けなかったのだが、先日バスに乗っていると、運転手が異常な運転をし始め、しばらくしてバスが横転するという夢を見て、どうやらそうなのだと腑に落ちた。

 

 1月15日未明、長野県軽井沢町の山中でバスが横転し、14人が死亡したという痛ましい事故が起こった。亡くなった乗客の全てが大学生であったことが世間の関心を引き、メディアの取材は過熱。亡くなられた方の個人情報を連日散見し、何だか嫌気がさしてあまりニュースを目にしないようにしていた。

 

 

 今回のバス事故に際してうんざりした出来事がある。亡くなった方のTwitterアカウントが探し出され、そこでの発言があげつらわれたのだ。例え人道に悖るものだったとしても、故人の発言を都合よく抜き出し、撒き散らして、寄ってたかって罵倒するなど言語道断である。しかし、最近ふと新たな解釈――物事の気持ち悪さに対して腹の虫の居所をその場しのぎに設えただけかも知れないが――に思い至った。人望が厚く、確かな夢を持つ、前途洋々たる未来を持つ若者の尊い命が失われたことへの遣り切れなさ、同情、苦しみ、怒りを安易に誤魔化そうとして、「故人は聖人ではなかった」と、因果応報であると、”「死」に正当性を与える”行為なのかも知れない、という考えに。事故に深く思いを寄せ過ぎるあまり、被害者への共感が行き過ぎ、心が受け入れられる積載量を越え、精神の平穏が脅かされたことへの自己防衛なのだ、と。

 

 以前、母親に今日マチ子というマンガ家の『ぱらいそ』『いちご戦争』といういずれも戦争を扱った作品を見せたときのこと。『ぱらいそ』はストーリーものの作品なのだが、『いちご戦争』は「撃たれた飛び散る内臓はいちごとなり、戦線にはシロップの血が流れ、マシュマロ戦艦が沈んでいく」というように、戦争で死んでいく少女を兵器や腸に模したお菓子や果物と共に描いた画集だった。私たち若者世代――『むちむち!』の女子高生のような――からすると、戦争の惨禍をより触れやすい形で目にすることができる、というだけなのだが、母親からすると「今程規制が厳しくないテレビで昔見た戦争の死者の写真を思い出して、読むことができなかった」と、目を通せるものではなかったようだった。これも一種の自己防衛なのだろう。倫理の授業中での私の共感能力の欠如、注意力の散漫さも、多少都合よく捉えると、当時の人物に深くコミットメントすることで心に傷を負うのを避けた、ということなのかも知れない。

 

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 自己防衛といえば、教科書に載っていた鷲田清一の『ぬくみ』という評論に感じたことがある。

 

 電車の中で半数以上の人が、誰に眼を向けるでもなく、うつむいて携帯電話をチェックし、指を器用に動かしてメールを打つシーンに、もう誰も驚かなくなった。誰かと「つながっていたい」と痛いくらいに思う人たちが、互いに別の世界の住人であるかのように無関心で隣り合っている光景が、私たちの前には広がっている。

 

 

鷲田清一「ぬくみ」より引用)

 

 私は田舎で生まれ、田舎で育った。一日に会う人の数は限られおり、そもそも出会う人のほぼ全員の情報を知っている。初対面であっても、どこかで人間関係が繋がっていたりする。癖なのか、電車に乗るとどうしても同じ車両に乗り合わせている人々に目が行く。顔、行動、ファッション、家族構成もしくは関係性、イヤホンをしていなければ否応なく会話も耳に入ってくる。カップルが喧嘩しているとハラハラするし、泣き喚く赤ちゃんを必死であやすお母さんを見ると胸が痛むし、理不尽に人を罵倒する会話を聞くと憤ってしまう。目に入る全てに情動を動かし、共感しようと、歩み寄ろうとするとすると、ひどく気疲れし、自分が摩耗するような感覚に陥る。以前満員電車をやり過ごすコツは「周りに居るのが人間であることを忘れること」だというようなツイートを目にしたことがあるが、本当にそうだと思う。共感が自分の積載量を越えないように、イヤホンで耳を塞ぎ、スマホに目をやり視界を狭める、というのも一種の自己防衛なのだと思う。

 

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そもそもなぜ自分が戦争から目を逸らしていたのかについて考えると、怖いという思いが強かっただけでなく、描かれている人物にあまり共感できなかった、というのもあったと思います。日本では戦争に対して不思議な郷愁を感じやすいというか、憧れることはないにしても、描かれている悲しみや叙情性に惹かれやすい気がしていて。それもあって、主人公も一方的な被害者として描かれるのかもしれませんが、そこが不満だったのかもしれません。

 

 

(wotopi 「漫画家・今日マチ子と考える戦後70年」より引用)

 

 先程名前を挙げた今日マチ子は、マンガという媒体で戦争被害者の”聖”と”俗”の隔たりを埋めようとしている。『アノネ』というアンネ・フランクを題材にした作品では”健気な少女だけど、今の時代にいてもおかしくない、普通の感性を持った少女。なのに「日記の一部を読んだ世界中の人が、アンネを聖少女に作り上げてしまった」ことに違和感を抱き、彼女をモチーフにしたマンガを描くことで、「戦時下では無視されてきた、『少女たちの普通の姿』に光を当てたかった”と語る。

 

imidas.jp

wotopi.jp

 

 哀惜の念を表するあまり、被害者の人物像を白く塗りすぎると、黒い染みが自然と浮かび上がる。バス事故での被害者の方のツイートに私は驚かなかった。ただ、尊い命が道半ばで残酷にも失われてしまったというだけで、普通の大学生であることには変わらなかったはずだ。聖人のような扱いで、何事も美談に仕立て上げ、安易に視聴者の同情を、共感を誘うと、反感を持つ人は必ず出てくる。

 

戦争で亡くなるとどんな人でも、『純真無垢で、何も罪のない一般市民』のように語られてしまいがちですよね。もちろん、それもあるかもしれない。でも誰もが普通の人であるがゆえに罪を抱えているはずなので、そこも描かないと逆に、亡くなった方に失礼なのではないかとずっと思っていました。ユーカリが白い絵の具にこだわるのは、自分が白くないことをわかっていて、白に憧れているからなんです。

 

 

イミダス 連載 第6回 今日マチ子「戦争と想像力」より引用)

 

あくまでフィクションとして描けるのが漫画の醍醐味なので、政治的、思想的な意味は込めず、戦争について今自分が思うことを“記録”し、漫画としてちゃんと面白く読める作品にしたいと思いました。もちろん体験者の方々の実話が受け継がれていくことはとても大事ですが、漫画は「たかが漫画」だからこそ色々な人に読んでもらうことができ、そこがいいところでもあるので。

 

 

(wotopi 「漫画家・今日マチ子と考える戦後70年」より引用)

 

 例えば今回のバス事故で被害に遭われたのが、もっと年上の、もっと自分とは程遠い境遇の人であればこれ程までに心を動かされることはなかっただろう、ということは避けがたい事実だ。しかし、被害者の方の情報に、手軽な形で自らを歩み寄らせ、共感する、共感できていると思い込むという自分本位な共感の仕方は絶対にしたくない。自分の共感のキャパシティを認識した上で、情報に触れるということも大切だ。共感が誤った方向に進んだときの恐ろしさは想像に難くない。

 

 共感とは、”自分を相手に歩み寄らせて発生させるもの”だと書いたが、これもある種の危険性を孕んでいる。”歩み寄った相手”というのが、自分が勝手に作り出した妄想の産物かも知れないからだ。実際の"相手"と、”歩み寄った(と思っている)相手”との間に隔たりがあった場合、相手への好意がそっくりそのまま嫌悪に反転してしまう可能性がある。卑近な例になるが、俳優にしろ歌手にしろ――ある人物に熱をあげていた人が、その人物の”不祥事”で熱烈なアンチに変わる、というような場面は頻繁に目にする。

 

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 ヤマシタトモコの『ひばりの朝』という作品は、他者への認識能力の不確実さを気持ち悪い程に描き切った怪作かつ傑作だ。「日波里(ひばり)」というひとりの中学生少女を軸に繰り広げられる短編物語で、主人公は「ひばり」なのだが、短編のそれぞれが「ひばり」以外の登場人物の一人称形式で展開する。そこにあるのはただただ「主観」である。他者の主観だけを頼りに、そして「ひばり」の視点が不在のまま、「ひばり」という人間が歪んだ形で形作られてゆく。

 

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 Amazonのレビューにあった「共感できない人物と、共感しかできない人物達が織り成す悲しい物語」という言葉が言い得て妙だと思う。登場人物のひばりへの感情を”共感”とは呼びがたいが、少なくとも登場人物が”歩み寄ったひばり”はどこにも存在していなかった。”共感しかできない人”はその共感能力の高さゆえに相手の言動を自分と重ね合わせ、曲解してしまうきらいがある。また、”共感できない人”はそもそも相手に情動を寄せようという気がないために、相手を都合よく解釈することしかできない。対象にそもそも好意がない人はアンチになりやすく、対象に関心がありすぎる人もまた、幻滅からアンチになりやすい。作中で唯一、ひばりを全人的に正しく見られたのは、適切な共感能力を持ちながらも徹底的に無関心な女教師だけだった。

 

 レヴィナスの他者論によると、「他者」は「私」にとって操作できる存在ではなく、むしろ理解することすら絶対にできない存在だと言う。今一度、共感について、共感の仕方について考えてみなければならない時が来ている。

 

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家でも 職場でも
見下されるのが 私の仕事だが
傷つかず 良心も痛まない
ので
問題ない

 

…傷つかず 良心も痛まない

 

…手島日波里は


クラスメイトらの囁く噂のような子どもでは ない

大人の期待する淫らさを持ち合わせてもいない

見た目こそ妙に大人びて特異ではあるが

凡庸で 人並みに愚かで 人よりは少し臆病で まだ性の何たるかを知らない

 

それは そと見でなく
彼女を見れば
誰にでもわかる 簡単に

 

わかる のに

 

なぜ誰も

 

母親まで なぜ

 

傷つかない はずの 心が

なけなしの良心が

 

き し む

 

軋む

 

 

ヤマシタトモコひばりの朝」から女性教師のモノローグより引用)

 

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 共感について記事を書こう、と思いつつも今ひとつ筆が進まない中、敬愛する作家・梨木香歩岩波書店の『図書』1月号から往復書簡という形式で連載を始められ、1回目は『共感の水脈へ』というタイトルで、妙な偶然もあるものだと思わされた。全体を通して、文章の、文脈の美しい流れがあるため、一部だけを抜き出すのは嫌なのだが、仕方なく抜粋する。

 

 何か道があるはずだと思うのです。自分自身を侵食されず、歪んだナショナリズムにも陥らない「世界への向き合い方」のようなものが、私たちの日常生活レベルで。

 

 (中略)私はカリーマが、台所でタヒーナをつくってくださったときのことを思い出していました。真剣に、一心不乱に、クリーム状になった胡麻とレモン汁を少しずつ、少しずつ、混ぜ合わせていた。本来違う性質のものたちを、案配を見ながら、分離していかないように、調和のうちに溶け込ませていく。細心の注意を払って、少しずつ、少しずつ。

 早さや量に重きを置くのではない。それは、何グラムとか、何分、とか、そういう数字で測れるものではなく、こうやって人から人へ、気配と呼吸を感じながら伝わっていく「営み」なのだと、あのとき感銘を受けたものでした。

 エジプトの料理は、難しいわざや複雑なレシピとかはあまり関係なく、ただ人の根気と愛情がいっぱい入っている、だから、体にも心にも優しいものなのだ……。以前にお聞きしていたこのことばが、文字通りあのとき、血肉を通して、甦ってきました。

 私はそういうふうに、たとえばイスラームに、アラブに近づきたい。付き合いながら合点していく友人の癖や習慣を知るように、絶えざる関心の鍬をもって、深い共感の水脈を目指したい。そう願っています。

 

 

梨木香歩「共感の水脈へ」より抜粋、引用)

 

§

 

 先日、精神的に疲弊する出来事が続き、いっぱいいっぱいになっていたとき。もうどうしようもなくなっていたとき、早朝の5時だったにも関わらず、たまたま友人と連絡のタイミングが合った。あまり自分のことを話すのが得意でない上に、心の傷を誰かに伝えることが好きでない性格のために、苦労したのだが、ぽつりぽつりと受けた精神的な痛みについて、友人に語ってみた。直接会えばきっと言えなかったはずだが、電話の、近いようで遠いようで、でも近い、絶妙な距離感のお陰か、話すことができた。そんな中で、友人も自身の心の傷について語ってくれて、お互い共感することが多かったため「分かる」「分かる」と馬鹿みたいに言い合ったのだった。「自己」と「他者」はどうしたって他人であるし、どうしたって分かり合えない。でも、共通点を探ることはできるのだ。深い共感の水脈を探ることはできるのだ。日常生活における”共感”から、社会問題、果ては遠い世界に生きる人物への”共感”まで。どれだけ近しい人間であっても――例え肉親で合っても分かり合えないことは多い。日常から、距離的に、時間的に、精神的に。遠ざかれば遠ざかるほど、共感の水脈を探るのは難しくなる。しかし、しかし探り続けなければならないのだ。生きるためには。人と、関係を持って、生活するには。時には堰を築くことも大切なのだろう。共感の水が溢れてしまわないように。しかし、滞りなく、絶えず、絶えず、水脈を保たなければならない。全ての流れを塞いでしまえばたちまち、干乾びてしまう。

 

 安易な傷の舐めあい方、安易な共感の仕方はしたくないし、されたくもない。でも、あのとき。私は、確かに「分かるよ」という言葉に救われたのだった。とても。

 

 深い、深い共感の水脈に、清澄な水を。滞りなく流せるように。これからも私なりの”共感”の形を探し続けていきたい。