引き金 / 匂い

 匂いは五感が認識するものの中で最も他者に伝えにくいものだと思う。

 

 

 例えば視覚が認知する風景は写真に閉じ込めることができる。聴覚が捉える音は録音できるし、鼻歌なり楽器なり、その”音”を再生する方法はいくらでもある。その音がメロディであるなら、今の時代、SHAZAMで曲名を認識し、YouTubeで検索し、聴かせればいい。触覚はそもそも物体の”触り心地”の数自体が少ないし、「固い」「柔らかい」「ざらざら」「ぬめぬめ」など、言語化しやすい。味覚――味覚も厳密には伝えづらいけれど、なんとなくいけそうじゃない?そんなに人に伝えにくいほど変な食べ物は日常生活で口にしないし、「食レポ」もよっぽど語彙力のないタレントでない限り、大体伝わるし。というかそもそもそんなに本気で”匂いの伝えづらさ”を論じたかったわけではないので、あんまり深くツッコまないで!ほしい。そしてもちろん、もし好きな洗剤や香水の匂いを伝えたいのだとしたら、その匂い自体をその場に持ち込み、漂わせればよいのだから容易い。けれど、ここでいう”匂い”はそういう画一化された匂いではないのだ。

 

 

 匂い。夕立の後、大気に湿気の重みが残り、新緑の気が際立ち、地面が甘いような饐えたような香りを放つ、匂い。古い木造の建物の、木が時間を沁み込んだような埃っぽいけれど、どこか落ち着く素朴な匂い。クリスマスの朝、プレゼントの包装紙を破るときの、否が応でも期待を煽られる紙とインクの織り成す人工的な新品の匂い。「少しずつ空気に薄荷が交じり始める」という、晩夏の気配をそのまま言葉に封じ込めた三島由紀夫の美文があるけれど、これは匂いというより全体的な感覚かな。いつか、そういう、個々人の多種多様な嗅覚が好む、世の中に溢れる名状しがたい美しい匂いを捕え、いつでも味わえる、そしてそのままの感度で誰かに伝えられる日は来るのだろうか。

 

 

 なぜ急に匂いが気になったかというと、今、自宅の2階のトイレの芳香剤の匂いを嗅ぐたびに、何かの記憶を思い出しそうになるのだが、それが何なのかどうしても思い出せないのだ。何となく、小学5年生頃、夏の記憶らしい。「この匂い、どこかで嗅いだことがある!」というやつ。小学5年生の夏、ひたすらトイレに籠っており、そのときと同じ芳香剤、みたいなオチだとしても、なぜその匂いが鮮烈に記憶のトリガーになっているのかが謎である。「シャボン」だの「ラベンダー」だの、何かしらの匂いの名称がその芳香剤にもついているのだろうが、具体的に説明しづらい匂い。トイレの芳香剤の交換スパンがどの程度なのかは知らないが、しばらくの間、そのトイレに足を踏み入れるたびに過去のある位相に嗅覚だけ取り残されたような不思議な感覚に陥りそうだ。

 

 

 ……なんて感じで記事を終えようと思っていたのだが、小部屋の化学的な匂いの組成が変化してしまったのか、昨日からトイレに入っても、その”思い出せそうで思い出せない記憶を呼び起こす匂い”が少し変化してしまって、記憶の引き金の役割を果たさなくなった。何の変哲もない「柑橘系の」匂いになってしまった。もちろん同じ芳香剤である。もし、その”記憶のトリガーの芳香剤”の匂いを捕えられたなら、その匂いを嗅ぐたびに思い出せそうで思い出せない記憶にもやもやさせられたのだろうか。何だか何が書きたいのかよく分からなくなってきたのでここらで文を閉じるが、僕は匂いフェチです。