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少年の日の思い出

 当時はなんとも思っていなかったのだが、今思い返すと変な小学生だった。

 

 ファンタジー小説が好きで、図書館のヤングアダルトコーナーにあるその手の類の本はほぼ全て読み切ったと言っても過言ではないほど、ファンタジー小説を読んでいた。特にドイツのラルフ・イーザウ(*1)とイギリスの女流作家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(*2)が大好きだった。小学校2年生の頃だっただろうか、ラルフ・イーザウの「盗まれた記憶の博物館」を自分で最初から最後まで読めたときの達成感と喜びに、読書の楽しさというものを初めて教えてもらった気がする。「パーラ」という作品は酒寄進一氏による訳が圧巻で、「言葉遊び」や「詩」がモチーフの難しい作品でありながら、語呂のよい、響きのよい日本語に絶妙に訳されており、洋文学の場合、翻訳者の仕事も大きいことに気づかされた。ダイアナ・ウィン・ジョーンズは「ハウルの動く城」シリーズよりも、「クレストマンシー」シリーズが好きだ。ぜひ、キャットがクレストマンシーになり、マリアンと結婚するところまで読みたかったのだが……。作者の訃報を聞いたときは、本当に目の前が真っ暗になるほど落ち込んだ。どちらの作品も、表紙、挿絵の多くを佐竹美保さん(*3)が手掛けられており、彼女の、子どもの想像力を邪魔することなく、むしろそれを何倍にも増幅させる手助けをしてくれる、美しく繊細な絵を見るのも楽しみだった。今でもちょっと脳内お花畑思考気味なのは、このファンタジー小説まみれの小学生時代の所為かも知れない。

 

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 この作品は私が生まれた年に刊行されたらしい。何度も読み返しているため、端が擦り切れている。挿絵はなく、佐竹さんの絵は表紙だけなのだが、上下巻のこの2枚の絵が十二分に物語への冒険の扉の役割を果たしている。

 

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(*1)「モモ」や「はてしない物語」で有名なミヒャエル・エンデに才能を見出され、作家としての道を歩み始めた。児童文学に留まらず、サスペンスなども得意とする。
(*2)日本では宮崎駿によりジブリで映画化された「ハウルの動く城」が有名である(原作と映画では後半のストーリーが大きく異なる)。「指輪物語」のJ・R・R・トールキンや「ナルニア国物語」のC・S・ルイスに師事。2011年、76歳でその生涯を終えた。
(*3)児童文学の挿絵を多く手掛けられている。おそらく一番有名なのはジブリで映画化もされた「魔女の宅急便」シリーズだと思われる。

 

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 音楽に関しては、幼稚園でバッハやベートーヴェン、小学校低学年でショパンやリスト、中学年でドビュッシーラヴェル、高学年でメシアンストラヴィンスキーと、少しずつお気に入りの作曲家を現代に移していた。……のだが、小学校4年生辺りでうっかり道を踏み外し、深夜アニメにハマってからは、音楽の中心を”アニソン”に(もちろんクラシックも聴いていた)。クラシックしか聴いていなかった耳には底抜けにキャッチーでジャンクなアニソンは劇薬で、ひたすらアニソンばかり聴いていた。(音楽理論を学び、古今東西の音楽に少しは詳しくなった今、昔好きだったアニソンを久しぶりに聴き返してみたが、そのポップスとしての完成度の高さに驚かされた。いや、マジで。)そして中学1年生から安藤裕子やらSalyuやら女性ソロにハマっていったのである。その先はまた、備忘録もかねて別の記事できちんとまとめたい。音楽趣味に節操がないのは今に始まったことではなく、小学生時代にその端を発しているのである。

 

 他にもぷちサンプルシリーズ(同年代の人は絶対にスーパーのお菓子棚で見たことあるはず!)にハマって、ひたすら集めては、誰に見せる訳でもなく、ひとりで眺めて楽しんだり。中学生も終わる頃、ふともう一度見たくなって母親に所在を尋ねると「だいぶ前に捨てた」と一蹴。当時はすごく大事にしていたのに「そっかあ」とあっさり納得。諸行は無常である。

 

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 こういう感じのやつ。長方形の箱に全然美味しくないガム1個と入って、スーパーに売られていた。

 

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 小学4年生頃、「天皇」「宮家」「公家」にハマったこともある(何言ってるか分かんないですよね)。テレビで時々拝見する天皇家の方々。当時の私からするとまさに謎に包まれた存在で、思い切り好奇心をくすぐられた。”皇太子ご一家には「姓」がない”とか”南北朝時代”とか絶妙にワクワクさせられる事柄が多く、「怨霊になった天皇」だとか「梨本宮伊都子の日記」だとか、「主な読者層60代以上の男性」的な皇室絡みの本を図書館で借りては読んでいた。渋い。地味な自分の苗字にコンプレックスを抱いていた時期があり、公家の「鷹司」だとか「花山院」、「武者小路」「冷泉」「嵯峨」みたいな洒落た苗字に憧れを抱いていたこともこれらの興味に起因する。お陰で平安京の小路名だとか、藤原南家だとか、公侯伯子男とか、皇室関連の知識は無駄にある。「女性天皇の是非」とかの議題である程度討論に参加できるくらいには。よく、小さい子が「俺が考えた最強の武器」なんて想像する感じで、架空の宮家を創設して系図をつくったり、想像した公家どうしで婚姻関係を結ばせたりして楽しんでいた。変な子である。しかも、その想像した宮家、公家も中二病チックな名前ではなく、リアルを追求した「梅原宮禎仁(仮)」みたいな地味な地味さ加減である。当時、そうやって遊んでいたノートのひとつでも残しておけば面白かったのに、と少し後悔している。

 

 苗字コンプレックスの続きで、「姓名判断」にも一時期凝っていた。その名の通り、「姓(苗字)」と「名(名前)」の画数から吉凶を判断する占いである。「なんだ、簡単そう」と思うかも知れないが、侮ることなかれ。「旧字」で数えるものや「新字」で数えるもの、「さんずいへん」や「いとへん」などの「偏」も流派によって数え方が違うのである。例えば「くさかんむり」など、そのまま三画で数えるもの。旧字体では横棒が真ん中で途切れているため、四画で数えるもの。本を正せば「艸」という字のため、六画で数えるもの……などなど、かなりややこしいのである。「姓名判断」の勉強をするために、図書館で旧字体や旧仮名づかいの本を借りてきては、勉強していたため、今でも旧字には強い。昔の新聞でも、椎名林檎の3rdアルバムの歌詞カード(*3)でも、難なく読むことができる。何時間も漢字字典を眺めたり、自分で漢字(しかも中二病チックなものではなく、実在しそうなもの)を創作したりする、みたいなヤバい時期もあった。その所為か、今でも字フェチで、面白いフォントや、端正なロゴにはうっとりさせられる。そうそう、姓名判断。私の名前は、親が一応考えてつけてくれたみたいで、ものすごく画数がよかったということも姓名判断にハマった一因かも知れない。しかし、地味でコンプレックスだった苗字(今はもう折り合いがついていて、むしろ気に入っている)の画数がどうしても悪く、将来大人になったら婿養子に入るか、改姓しようと本気で考えていた。そのお陰?で改姓、改名手続きには今でも詳しいので、お困りの際はどうぞ私にお声掛けを。職業病……趣味病?特技病?で、今でも初めて会う人の名前を無意識のうちに姓名判断してしまう。常用漢字だと即座に画数計算できるくらいには、当時の訓練が染みついている。中学生の頃は、授業中の暇なときにクラスの人の名前を姓名判断したりも。しかし、流派によって数え方が違うという時点で何の意味も持たない占いなので、将来子どもができたとしても、私は名づけの際に画数は全く意識しないと思う。しかし、勝手に大多数の人物の姓名判断をして気づいたのだが、日本人は今でもわりと画数を意識して名づけしている方が多い。一生に一度の大事な名前、できるだけいいものをつけたいと思うのは当然だろうし、当たり前と言えば当たり前なのかも知れないが。画数計算だけでなく陰陽五行も勉強し始めた辺りで飽きてしまったが、今でもどの画数が吉か凶かくらいかは40画くらいまでは覚えているので、興味のある方はどうぞ訊いてみてください。別に、ネットにいくらでも姓名判断サイトはあるけれども。

 

(*3)全て旧字、旧かなで表記されている。

 

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 こんな田舎の男子高校生の回顧日記をここまで読んでくださった方がいらっしゃるのなら、本当にありがとうございます。ていうか、すみません。「変な子だった」と他人事のように、過去形で言っているけれども、「じゃあ今普通の子なのか」と訊かれれば、それはもう何とも言えない。何とも言えないけれども、昔から共通しているのは「人と同じことはしたくない」という部分である。要するに、協調性のないクズ。つらい。