安藤裕子 Live 2016「頂き物」 @中野サンプラザ 05.21(土)

 昨年末の「Premium Live ~Last Eye~」から5ヶ月ぶり、バンドライブでいえば「あなたが寝てる間に」以来1年弱ぶりに安藤裕子のライブが開催された。

 

 

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 シンガーソングライター安藤裕子が人から曲を”頂いた”アルバムである9th Album『頂き物』のツアーである今回のライブ。客演の関係上か大阪と東京の2公演しか開催されず、何とも貴重なライブとなった。上京後初の安藤裕子ライブの会場は、取り壊しの噂を聞いたり聞かなかったりする中野サンプラザ。バンドライブでお馴染みだった渋谷公会堂も改修工事に入ったようで、2~3000人収容程度のちょうどいいキャパの会場がなくなってきているなあと一抹の不安を覚えつつ、開演を待つ。流麗な緞帳と、映画館のように段差のついた客席が何とも”ホール”といった感じ。

 

 

 ジャジーなSEが開演時間の18時を過ぎても流れており、いつ始まるものかと待ち構えていると、なんとSEに合わせてキーボードがコードを鳴らし、客電が急に落ちる。紗幕越しにメンバーの影が大きく膨らみ、山本さんの緩やかなコードの刻みと共に、安藤さんの祭礼のような声が響く。地声とファルセットの転換に独特の裏返り方を持つその声に、一瞬にして舞台に気を惹きつけられる。「月と砂漠 干上がる オアシス 君が化けた あの日の残像」という歌詞が繰り返される。シンバルの高音の劈きと共に砂漠の乾いた土埃が舞い上がるような錯覚を覚えながら、激しいドラムのフィルインと共に、紗幕が上がり、安藤さんが登場。白いゆったりとしたオールインワンの背中に孔雀のような色鮮やかな羽根をつけた衣装。くるりや、Salyu、現在絶賛ツアー中の秦基博など、多数のアーティストのバックを務める敏腕女性ドラマーあらきゆうこさんは今回が初顔あわせ。濃密でまろやかなグルーブを持ちつつも、タイトなリズムキープが軽やかな、味のあるドラマー。1曲目はアルバムと同じく、小谷美紗子さん提供の『Silk Road』。アルバムとは大きく変わる曲の始まり方に、毎度のことながらただのアルバム再現には終わらせないというバンマス山本さんの意気込みを感じる。ライブならではのキーボードのバッキングに痺れ、効果的に挟み込まれる赤い照明に鳥肌を立て、バレエで鍛えられた安藤さんのしなやかな踊りに目を見張り。中間部のリズムが変わる部分は、やはり猛烈にカッコよかった。アウトロに向け、音の塊が勢いを増しつつ、爆発的な熱量でもって曲が終わる。

 

 

 ドラムはそのまま、『ロマンチック』に。「あなたが寝てる間に」の追加公演で演奏されたバージョンと同様のアレンジ。いい意味でチープな浮遊感のあるシンセの音と、安藤さんのかわいらしい歌声が爽やか。2番Aメロのキメが気持ちいい。デイザー動画で既に知っていたとはいえ、大好きな曲なので初めてライブで聴けて嬉しかった。近年になってまたライブで演奏されるようになったのは、シリアスな私小説的歌詞が多かった時期を抜け、初期の軽い歌詞が入り込める余裕ができたからなのかなと思ったり。

 

 

 客席左手がにわかに騒がしいなと思うと、なんと「DJみそしるとMCごはん」のおみそはんが。笑顔で、手を振りながら会場内を走り回る、走り回る。これには思わずシャイな安藤裕子ファンも総立ち。1階をひと回りしたところで、舞台上に上がると既に、カッティングギターと都会的なシンセ、タイトなリズム隊のイントロに「I Want You」の言葉。なんと3曲目は松本隆トリビュートアルバム「風街であひませう」収録の『ないものねだりのI Want You』。確かアレンジは前回「あなたが寝てる間に」のベースを務められていた鈴木正人さんで、今回のベースの沖山さんは「風街」の中ではYUKIの『卒業』のアレンジをされていたんじゃなかったかなあ、なんて考えながら、自然と体が揺れる、揺れる。最初のラップパートはおみそはんの面目躍如。2番のラップは安藤さんが歌われていた。なんといっても、間奏を制圧する高周波のキリッとしたシンセソロが堪らなかった!

 

 

 演奏が終わり、いつものゆるゆるMCタイム。「頂き物フェスティボー」という安藤さんの言葉に「フェスティボー」と繰り返すかわいらしいおみそはん。前回の大阪公演ではそのまま次の曲に進んだせいで、安藤さんの息が絶え絶えだったよう。そのため、今回は自ら名乗り出たおみそはんがMCを担当。「安藤さんと霜降紅白歌合戦という曲を歌ったお陰で、去年は一緒にたくさんのお肉を食べさせてもらいました。羨ましいでしょ?おまけに中野サンプラザというこんなに大きなステージにも立たせてもらって」「安藤裕子ねえやん!今、初めてねえやんとお呼びしたんですが。心の壁を更に打ち破ろうと」。安藤さんが「舞台上では親友だ!」なんて言いながら、肩を組む「本当は人見知り」な2人。「大阪では息が上がっちゃって、ぜえぜえ言いながら歌いはじめたので、おみそが”私が喋ります”、と」「なにせこの曲、言葉が詰まってるから」という安藤さんに「ぎゅうぎゅう」なんてダブルミーニング的セリフをおみそはんが言いつつ、『霜降紅白歌合戦』へ。

 

 

 印象的なピアノリフは同期するのかなと思っていると、なんと今回が初顔合わせである元・チュールの酒井由里絵さんが人力で再現されていた。安藤さんと声の相性がいいコーラスで歌を膨らませつつ、結構がっつりとキーボードを弾く酒井さん。安藤さんの楽曲はピアノにオルガン、ストリングス、ブラスなど、キーボードの負担の大きい楽曲が多いので、キーボードが2人になってバンドサウンドに厚みが増していたのが、ピアノ弾きとして個人的に嬉しかった。赤身役の安藤さんと、脂身役のおみそはんが、お互いになじり合う歌詞に合わせて”ふり”をつけたり、舞台上でちょっかいを出し合ったりしているのを見ると思わず頬が緩む。曲の途中で手を振りながら舞台袖に戻るおみそはん。アウトロでは、安藤さんがフェイクに乗せて「グッバイおみそ~」と別れを惜しんでいた。

 

 

 「もう既に疲れた。あと1、2、3…16曲!」と曲数のネタバレをする安藤さん。キーボードがもう1台出てきたり、譜面台が2つ用意されたり、何やら準備がはじまる舞台上。なんとか準備中MCをしようとするも、「あれ、場が繋げない……」と会場を笑わせる。「もっと喋り上手な人がMCをしてくれたら……ちょっとそこのカメラマンの2人、こっちに来てくれる?」と呼びかけ、客席前方左右にいるカメラマンにスポットライトが当たるとなんとスキマスイッチのおふたりが!思わず叫び声が上がる客席。

 

 

 「色々任せちゃってごめんなさいね、なにせうち貧乏所帯なんで」と安藤さん。大橋さんは「全然違和感ないでしょ?」「帽子被りながらカメラ回す人はいないだろうし、シンタくんはまだ違和感あるけど、僕なんて本当に気づかないでしょ」と自虐。大橋さんが赤いシャツ、シンタくんが赤いセットアップを着用されていたので、「おふたりとも赤が素敵!クリスマス?」と安藤さん。「もうすぐクリスマスですからね、意識しました」。と自然とコントが続く。

 

 

 「今回の”頂き物”という企画をはじめるにあたって、最初にお願いしたのがスキマ」「スキマスイッチの代表曲のような曲をお願いした。私も楽曲提供するときは、提供相手に合わせて曲作りをするのでやりにくい依頼だろうなあ、と(笑)」と『360°サラウンド』の楽曲説明が続く。「僕が”こんな感じですよ”って歌った通りに一言一句そのまま歌ってくれて感動した」と大橋さん。「大橋さんの声には独特のグルーブ感があって、”頂き物”の中でも誰が作ったか分かりやすい曲ナンバー1だと思う。むしろモノマネにならないようにするのが大変だった。歌い続けていると最近は自分の癖が出てきちゃいましたけど(笑)」と安藤さん。

 

 

 「音楽面でもスキマの癖があって、もっさん(山本隆二さん)はコードを変えるに変えづらかったようで」「スキマらしいコードで、でももっさんも”山本!”って刻みたいコードもあるだろうし」と安藤さん。「”ここは山本さんお願いします”って楽譜に書いて渡した部分もありますよ」とシンタくん。「あのPVもすごいですよね、皆さんやりました?」という大橋さんに「スマホが壊れていて、私やっていない……」と安藤さん。「スマホ画面にギリギリまで顔を近づけてやりましたよ」とシンタくん。「それじゃあ、喋ったからには」と『360°サラウンド』がシンタくんのピアノではじまる。個人的な話になるが、私が使用しているキーボードがシンタくんと同じタイプのもので嬉しかった。

 

 

 最初のサビは大橋さんはオク下で。ふたりのボーカリストの声の重なり方がなんとも贅沢。Aメロは大橋さんが原キーで。あの熱を帯びたソウルフルなハイトーンボイスが会場内に響き渡る。メインでキーボードパートを担当するシンタくんと、更に厚みを加える山本さん、ストリングスパートを弾く酒井さんの3人のキーボードが豪華。あらきさんのただの4つ打ちに留まらないドラムが高揚感を煽り、自然と手拍子が起こる。安藤さんと大橋さんの、メインを担当する部分、コーラスを担当する部分の振り分け方が完璧で、何だかこの舞台で『360°サラウンド』という曲が完成したような感じがした。

 

 

 アウトロで安藤さんが大橋さんに耳打ちをしていたのだが、どうやら「2人もボーカルがいるのに、間奏は手持ち無沙汰になる」という話だったよう。「大阪も来てた方もいるんじゃないですか?」という大橋さんに、「あの人来てましたよ」と客席の男性を指差す安藤さん、驚いてしゃがむ男性。「それ怖いですね!あの人と、あの人と、あの人は来てたみたいな」と大橋さん。「視力がよくて、2.0あるんですよ。見えすぎちゃって、怖くて。ライトがつくとみんながこっちを見るので、”見ないで”って目をそらしたり、目を閉じたり」という安藤さんに対して、「そういう仕事です」とシンタくんの冷静な突っ込み。「でももしここに1人か2人しかいなかったらそれはそれで怖いでしょ?」という大橋さんに、「それは怖い!皆さん来てくださってありがとうございます」と安藤さん。

 

 

 「話変わるけど、豆電球がないと眠れなくて」とライトの話繋がりでいきなり大橋さんが話をぶち込む。「うちの子と一緒!」と安藤さん。「ホテルなんかで真っ暗で寝ると、トイレ行ったときなんかに足の指をぶつけて、朝起きたら血だらけに」と”真っ暗の危険性”を論じるシンタくん。何かの話で「どうですか?裸足のピアノマンは」と靴を脱いでいたシンタくんをいじる安藤さんに、「前の人しか見えないですから」と言いながらちゃんと足をあげて、素足を見せてくれる優しいシンタくん。緩い掛け合いに笑っていると、曲への前振りがはじまる。「この曲がやりたくて」と大橋さんは前から言ってたいたよう。「タイトルが素晴らしくて」「それじゃあ、安藤さんよろしくお願いします」と言って、安藤さんが口にしたタイトルはなんと『世界をかえるつもりはない』。

 

 

 原キーで歌う大橋さんに合わせて、少しキーが下げられた、「あなたが寝てる間に」収録のバンドバージョンの『世界をかえるつもりはない』。余白までも音楽に変える、耳にまとわりつくグルーブを生むあらきさんのドラム、印象的なフレーズを聴かせてくれる沖山さんのベース。安定感のあるリズム隊の元で、山本さんとシンタくんの鍵盤が自由に踊りまわり、2人の稀有なボーカリストが互いに呼応するように熱量を増してゆく様は圧巻だった。「あいしてます」と囁く部分を、大橋さんがオク下でハスキーに歌われていたのが、また何とも味わい深かった。安藤さんの天女の声のようなファルセットに、地響きのような大橋さんの唸りが絡みつくアウトロのフェイクには鳥肌が。序盤にして圧倒的なステージを見せつけ、最後は安藤さんがスキマスイッチのおふたりの肩を抱いて、お別れ。

 

 

 また新しくステージ上で準備がはじまると、いつの間にか何やら見慣れない姿がボソボソと口を開いている。安藤さんに「マイクを通して喋りなさい」と言われたその人は、銀杏BOYZ峯田和伸さんだった。「この間も言いましたけど、汗に濡れてると、その、またいいですね」と変態的な発言を浴びせる峯田さんに、「いいだろ、峯田!」とあっけらかんとした安藤さん。「珍しくちゃんと服着てるね」と言う安藤さんに「いつも着てますよ!」と峯田さん。どうやら「短パンにランニングみたいなイメージ」だったため、「ちゃんとシャツを着てる」のが珍しいようで。「家近いから!」といまいちよく分からない理由を返答し、さらりと家バレをする峯田さん。「湾岸辺りまで行くとそれだけで疲れちゃうから、やっぱ歩いてこられる距離はいいね」と、そこから中野サンプラザトークが続き、「家から近い、この素敵なホールで安藤さんとやれて嬉しいです」と締めくくる。

 

 

 「この上にホテルがあるんですよ」「今出てるドラマ――ちょうど今日やる『骨』を主題歌で歌ってるんですけど――家だと誘惑が多くてセリフ覚えられなくて」「家の近くにホテルがないか探してたら、サンプラザの上がホテルで。和室があって、そこだとするする覚えられるんですよ」と意外な事実を教えてくれる峯田さんに「番宣だ、番宣!」「ちょっと待って、撮影場所に近いとかならまだ分かるけど、なんで家の近所でわざわざホテルに!?」と茶々を入れる安藤さん。どうやら中野周辺でもドラマ撮影をやっていたそうで。何かの発言に対して、「ですよね山本さん!」といきなりキーボードの山本さんに話を振るも、「マイクないから」と安藤さんに一蹴される峯田さん。そんなこんなで、峯田さん主演で金田一風MVも制作された『』へ。

 

 

 峯田さんのアコギに乗せ、安藤さんの緩急織り交ぜた伸びやかな声が響き渡る。重たいバンドサウンドが続いていた中、アコギ一本で安藤さんの声を聴くと、ボーカリストとしての底力をひしひしと感じる。アコースティックライブをまたやってくれないかなあなんて思っていると、終演後発表されましたね。楽しみです。それはさておき。峯田さんもまたすごい!生の歌声をお聞きしたのは初めてだったのですが、腹の底から湧き出てくるどうしようもない感情を声に変換したかのようななんともガッツのある、まさに”骨”のような歌声。「東京タワーのてっぺんから、三軒茶屋までダイブするー。」の後の峯田さんの「BABY、来たぞ!」という叫びを今夜は「来たぞ、サンプラザ!」と歌われていた。演奏後、峯田さんは「自分で弾いて自分で歌うのもいいけど、やっぱりこうバックで演奏してもらって、コーラスやるのもいいな」としみじみと仰られていた。

 

 

 「安藤さんの声をちょうど10年位前にCMで聴いたとき。多分大昔の人が音楽を楽譜に残すようになったとき、元々声を震わして歌っていたところを、そう歌ってもらうために、何か記号を書いたりして……それが後々”ここはファルセットで歌う”っていう風になっていったと思うんですけど、安藤さんの声はその”元々”の感じがした。ファルセットで歌おうと思って声が震えるんじゃなくて、自然とそうなる。そういう揺らぎも、覚悟も、自分の弱さも、舞台だったらありのままで晒していいと、そういうところに、いちアーティストして尊敬を覚えます」と訥々と真摯に思いの丈を吐露し出した峯田さん。「大阪ではふざけすぎちゃったから、真面目にね」「こういう場でないと言えないから。飲み会だとふざけちゃうし」と。ちょっとしんみりしていると、「そうだ、近いんだから峯田家で打ち上げしたら?」という安藤さんのお誘いを「それは無理です。本当に人を呼べる状態じゃないので」とあっさり断られていた。

 

 

 設楽さんのアコギをバックに、峯田さんががなり声を上げる……と、よく歌詞を聴いてみると、「撫でて優しく」という言葉が。なんと『のうぜんかつら (リプライズ)』を原キーで歌われていた。「のうぜんかつらの歌のように」のキーが高い部分は、平坦に歌われていたけれど、それもまた味があって。峯田さんの歌声は叫びだな、と思った。決して小手先の技術とか声量とかじゃなくて、自然と内側から溢れ出る叫び。感情の発露。そしてそのスタイルが安藤さんと近しく、だから峯田さんは安藤さんに惹かれるんだろうなあと、2人の魂のボーカリストが通じ合う所以を探りながら、また生まれ変わった定番の『のうぜんかつら』を何とも新しい気持ちで聴いていた。安藤さんのおばあさんが亡き旦那さんに向けて書かれた散文詩が元になった『のうぜんかつら』。今回峯田さんとデュエットされることで、おじいさんの視点も加わったというか。今回の『のうぜんかつら』はむしろ、おじいさんが置いて行った妻に向けて歌っているようなイメージだった。

 

 

 峯田さんもいつの間にか去り、「みんないなくなっちゃったね」という言葉通り――もちろんバンドメンバーはいるけれど――舞台上は安藤さん1人に。「今回は”頂き物”というアルバムのツアーなので、アルバムの曲が中心にはなるけれど、自分の曲、懐かしい曲も歌おうと思います」といつものバンドライブがまた新たにはじまる。

 

 

 歪んだオルガンの荘厳な響きに合わせて、低音が効いた安藤さんの声が響き渡る。2012年の夏フェス以来だろうか、久しぶりに演奏された『輝かしき日々』だった。個人的な話になって申し訳ないですが、初めて自分で買ったCDがシングル『輝かしき日々』。地元の最寄りのTSUTAYAまで、冬の風が冷たい田舎道を自転車で30分駆け抜け、手をかじかませながらこっそり買いに行ったことをふと思い出した。J-POPのCDを買うのを親に知られるのが何だか恥ずかしくて。中学3年生のゴールデンウィーク、初めて行った安藤さんのライブ「勘違い」での1曲目もこの曲だったなあ。東京公演の最後、安藤さんが歌えなくなってしまったのを知っていたので心配しながらの初ライブ。イントロが激しいバンドサウンドで1分ほど演奏される中、安藤さんが途中で登場し、歌い出した瞬間、2階席だったけれど、安藤さんの生の歌声を聴いているということに猛烈に感動した。「中学生が1人でライブなんて」と両親が大阪までついてきたんだった――なんて過去を思い出しながら、今、志望校に合格し、東京で安藤さんのライブに来ている事実を考えると何だか不思議な気分になった。つい最近ファンになったような気がしていたのに、気がつけばもう7年も安藤さんの歌をずっと聴いているんだ。何だか自然と涙が溢れ出て、暴力的に幸せを歌う曲なのに、視界を歪ませていた。アウトロの「あなたを連れ去りたい」のフェイク、「秋の大演奏会」のバージョンでも同じフェイクをされていたが、微妙な音程の揺らぎが堪らなく好き。ラストはシャウトもしながら、設楽さんによるエレキギターディストーションと共に、爆発的な多幸感でもって曲が閉じた。

 

 

 続くのは、ソリッドなドラムに激情的なピアノが乗る、sébuhirokoさん作詞作曲の『溢れているよ』。Aメロは安藤さんお得意のファルセットでか細く、サビは近年すっかりモノにされたチェストボイスでたくましく。さすが、多数の作品で劇伴を務められている世武さんだけあって、安藤さんの声質を活かした巧みな曲。アウトロでの、安藤さんの声を掻き消すほどに荒れ狂う、歌詞に呼応する”溢れそうな”エモーショナルなピアノが胸を打った。ファンタジーの世界へと誘うリバーブの効いたキーボードのイントロ。「Encyclopedia.」ぶりではないだろうか、久しぶりの『再生』が続く。言葉が気持ちよく詰まったAメロから、謎の呪文を呟く幽玄なコーラスの混ざり合い、そしてサビ前の絶唱、密やかな熱を感じるサビ。巧みなコードづかいの、ラストの壮大な広がりに視界が広がるような感覚を受けながら、楽曲の深度を増してゆき『海原の月』へ。安藤さんのライブで歌われる回数が最も多い曲ではないだろうか。別れを歌うようでもあり、また新たな出会いを歌うようでもあり。悲恋なのか、愛の絶頂なのか分からない微妙なニュアンスの歌詞。青い青い照明と、叙情的な歌声の清冽さに胸を現われ、最後の”頂き物”へ。

 

 

 真っ赤なワンピースに身を包んだCharaさんが静かに登場。Charaファンでもある私は思わず溜息が漏れる。なんて贅沢なコラボだろう。作詞作曲だけでなく、サウンドプロデュースまでCharaが務めた『やさしいだけじゃ聴こえない』が朴訥としたピアノに乗せ、しっとりとはじまる。初期の頃はCharaの影響も垣間見えるファルセットが特徴的だったが、次第に唯一無二のボーカリストに成長され、近年ではボイトレの鍛錬の賜物でもある力強い低音が印象的な安藤さん。歌詞に肉薄する類稀な表現力で、Charaらしさも残しながらも難しいこの曲を自分のものにされていた。そこに重ねられるCharaの渋みと輝きを増したあのハスキーなウィスパーボイスが絶妙で。祈るように歌われる最後の「虹を誓った」という歌詞に合わせて、虹色の照明が神々しく降り注いでいた。

 

 

 元々歌手なんて考えもしなかった安藤さん。映画の道を志す過程で受けたオーディションで歌った楽曲がCharaさんの『Break These Chain』。その歌声を「君はそのままでいい」と故・小池聰行氏に褒められ、作り手として音楽業界に飛び込み、十数年を越えた。紆余曲折を経てデビューし、初めて所属した事務所がなんとCharaさんと一緒。まさに運命を決定した恩師とも言えるCharaさんと同じステージに立てた感慨で涙でいっぱいの安藤さんに、Charaさんも思わず「もらい泣きしちゃうじゃん」と目に光るものを。「曲を作るのは好きで、ずっと止めどなく作っていたんだけど、ふと曲が書けなくなって」「今までは”曲できたよ”って言って制作を急かしていたくらいのに、いつの間にか締め切りに追われる自分がいて」「そうしてはじまったのがこの”頂き物”という企画だったんですが、音楽を志すようになったきっかけである大先輩であるCharaさんと同じ舞台に立てて、本当に幸せです」と思いの丈を口にする安藤さん。

 

 

 「もしかしてやってくれるのではないか、でもコラボ曲は安藤さんの曲のようだし……」と思っていると、大好きなピアノのイントロを山本さんが奏ではじめる。なんと、Charaの『Break These Chain』のカバーだった。Chara自身も二度もセルフカバーしているほど、お気に入りのこの楽曲。安藤さんのボーカルの静と動を行き来するボーカルがこの曲にぴったりで、小池聰行氏が特別賞を与えた在りし日が目に浮かぶようだった。情熱的に声を張り上げる安藤さんに負けじとCharaさんが確固たる世界観でもってぶつかり合う、見る方も全力で対峙しないと置いて行かれそうな渾身のステージだった。

 

 

 「2人でラジオとかやりたいね」というCharaさんの言葉に夢が広がりながら、最後まで先輩らしく飄々とCharaさんが舞台を後にし、「私ばかり、ありがとうございます」と共演者、競演者への感謝を口にし、また曲が続いてゆく。親友の大塚愛さんから提供された『Touch me when the world ends』は、徐々に加わる楽器陣の膨らみが圧巻。間奏のストリングスセクションが好きなので、酒井さんが華麗に再現してくれて嬉しかった。元キリンジ堀込泰行さん作曲の『夢告げで人』では、アンニュイで妖艶な歌声が耳に心地よかった。昨年末のツアータイトルにもなった凛として時雨のTK作曲『Last Eye』では、収録されたバージョンにはないドラムの音も相まって、ライブならではのダイナミクスが骨の髄まで響いた。安藤さんの楽曲はエンジニアの方々の尽力の賜物で、均一で味気ないMP3プレイヤー向きのMIXでなく、臨場感のあるダイナミクスの大きいMIXがされているので、やっぱりライブで聴くのがいちばんだと再認識した。ラストはお馴染みの真っ赤な照明の元で『聖者の行進』。最もドラマーの個性が出るこの楽曲。あらきさんのドラムはオリジナルの矢部さんに近しいものを感じた。これだけ凄まじいステージを続け、どうしてその力が出せるのかと疑問に感じる程、しなやかな体から繰り出される咆哮のような歌声と、バンドサウンドの爆発的な行進に魂を持って行かれて、本編が終わった。

 

 

 アンコール明けを飾るのはアルバムの最後を飾る、今作で唯一の安藤裕子さん作詞作曲『アメリカンリバー』。電車という地上に根ざした日常と、遥か彼方の空という鳥瞰的な視点、安藤裕子の詞の根底を常に流れる”独り”と、それでも出会いを繰り返すたくさんの”あなた”。「私は生きている 時代を生きていく 私は大丈夫 あなたも大丈夫よ」という歌詞が全てだなと思う。シルクロードを旅し、食の喜びを謳歌し、夏の朝の空気の中、骨までしゃぶりたい程の愛を歌い、時には胸をいっぱいにしながら、虹を誓い、予感だけを煽られながら、たくさんの時代が生まれて消えるけど、それでもこの時代を生きていくのだ。私に、会場中の人々に、今日を、この時代を生き抜いていく力を確かに与える、とてつもない強さで「あなたも大丈夫よ」と歌い上げ、力が突如抜けたように膝から崩れ落ちた姿はあまりにも尊かった。

 

 

 最後は全員が再登場。「普通、アンコールの手拍子ってちょっとずつ途切れて、また誰かからはじまるのに、安藤裕子さんのファンはずっと途切れずに、心を合わせて手拍子をして、安藤さんを待っているのが分かって、とても素敵だなあと思いました」とちょっとずつ紡がれるおみそはんの言葉に、何だか会場中のファンの皆さんが愛おしくなった。「まさに全身で歌うっていう感じで」という大橋さんの安藤さんの歌う姿の形容に、「私もちょっと影響されて」とCharaさん。それぞれが安藤さんへの思いを口にする。「ゲストの方々がそれぞれ持つ熱量がすごくて、リハーサルでも同じレベルで。自分1人のライブだと無意識でペース配分を考えているんだろうけど、全力で立ち向かわないと負けちゃうので常に力を振り絞らなきゃいけなくて」と安藤さん。「思い出した!俺が中学生のとき好きだった初恋の女の子の名前が”あらかわゆうこ”!」という峯田さんの発言にあらきさんと安藤さんが顔を見合わせつつ、「じゃあ歌いますか」という安藤さんの一言から最後は『問うてる』を全員で。山本さんによるイントロも心なしかいつもより重みが違うような。なんとシンタくんまで含むゲスト全員がそれぞれソロパートを担当し、サビは安藤さんを中心になんとも贅沢なハーモニーを響かせていた。自分のパートでなくても口パクをするCharaさん。笑顔でいっぱいのおみそはん。ラストのシンガロングの最中、なんと大塚愛さんが舞台袖から花束を持って登場!気づかない安藤さんの裏で、Charaさんと肩を組んだり、スキマスイッチのおふたりと喋ったり。途中で気づいた安藤さんが本気でびっくりされていたので、完全なサプライズ。安藤さんにマイクを向けられ、シンガロングを担当し、なんと大塚愛さんのお声まで聴くことができた。大塚愛さんも含め、最後はみんなで手を繋ぎ、もう二度と見ることはできないであろう3時間に及ぶ夢のような祭りが終わった。

 

 

 今回の”頂き物”を受けて、安藤さんがこれからどんなお返しをしていくのか、ファンとして楽しみでならない。

 

 

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「セットリスト」

 

 

01.Silk Road
02.ロマンチック
03.ないものねだりのI Want YouC-C-B カバー/w:DJみそしるとMCごはん
04.霜降紅白歌合戦(w:DJみそしるとMCごはん
05.360°(ぜんほうい)サラウンド(w:スキマスイッチ
06.世界をかえるつもりはない(w:スキマスイッチ
07.骨(w:峯田和伸
08.のうぜんかつら(リプライズ)(w:峯田和伸
09.輝かしき日々
10.溢れているよ
11.再生
12.海原の月
13.やさしいだけじゃ聴こえない(w:Chara
14.Break These Chain(Chara カバー/ w:Chara
15.Touch me when the world ends
16.夢告げで人
17.Last Eye
18.聖者の行進


(アンコール)
19.アメリカンリバー
20.問うてる(w:ALLゲスト)

 

 

Key.山本隆二

Gt.設楽博臣

Ba.沖山優司

Dr.あらきゆうこ

Key&Cho.酒井由里絵

 

 

 

矢野顕子 40th Anniversary ❝ふたりでジャンボリー❞ ゲスト:大貫妙子 @東京グローブ座 04.03(日)

 4月3日『矢野顕子 40th Anniversary ❝ふたりでジャンボリー❞ ゲスト:大貫妙子』に行ってきた。

 

 

 矢野顕子がレコードデビューをしてから40周年ということで、企画された今回のライブ。3月28日から今日4月3日までの間に五夜開催され、1日目から石川さゆり清水ミチコ奥田民生、森山良子、大貫妙子と豪華なゲストが出演。兵庫に住んでいた私も大学入学に向けて3月26日に上京を終え、4月1日の大学の入学式に合わせてかねてから矢野顕子大貫妙子両氏の大ファンである母親も東京に来ることが分かっていたため、少しでも親孝行になればと思いチケットを取った。

 

 

 会場は東京グローブ座シェイクスピアが活躍した時代の舞台を真似た円形劇場で、ステージと客席の距離が非常に近い。ちょうど1階後方左側の、2席が独立した場所が座席だったため、ゆったりと座ることができた。充分演者を視認できる距離。日曜開催ということもあってか、かなり早い5時開演。ほぼ開演時間定刻に、薄く水色がかかったレースの襞に黄緑色の飾りがついたセンスのいいドレスに身にまとった矢野さん登場。

 

 

 ピアノの1音が鳴らされた瞬間、矢野さんのステージが始まり、場を圧倒する存在感に思わず鳥肌が立つ。なんて楽しそうにピアノを弾く人なんだろう!御年62歳だというのに、体の全てがピアノを弾く喜びに弾けながら歌うその姿は、”天才少女”と形容された時代から、全く変わっていないのだろう。途中のMCで「2026年は50周年なので、それまでよろしくお願いします」なんて言って笑いを誘っていたが、本当に70歳になっても80歳になっても、いつまでも矢野さんは天才少女なんだろうなあと思うと、その表現者としての純粋性に感銘を受けずには居られなかった。ひとつ気づいたのは、普通ピアノ弾き語りだと、客席の横を向くしかないのだが、矢野さんは体を大きく客席に向けて、こちらに顔を見せながら歌ってくれる。そこが演者と客席の近さを生む大きな要因なのだと感じた。1曲目の『そりゃムリだ』。喋り声そのままで多様な表情を見せながら呟かれる「そりゃムリだ」の後、最後に歌われる「愛することだけはやめられないんです」という言葉が印象的だった。

 

 

 2曲目は初めて聴いた『中央線』という曲。どうやらTHE BOOMのカバーらしいが、もはや矢野さんの曲だった。短いながらも詩的で、深みのある歌詞。矢野さんのピアノと歌声に乗せられると、とても切なく感じられ、胸に響いた。3曲目は、大好きな曲『ISE-TAN-TAN』。母親がファンなので、幼少期から何となく聴いていたものの、自発的にファンになったのは2013年発売のアルバム『飛ばしていくよ』から。そのアルバムの中でも特に好きな曲の演奏だったので、心がざわめいた。両親への気持ちを歌う少女の「お金があっても無くても 買ってあげたい人がいる」。恋人への思いを歌う女性の「わたしのこと ずっと 見てくれたんだね あなた」。矢野さんの歌声で歌われると、何だかどうしようもなく胸がいっぱいになって涙が止まらなかった。矢野さんは台詞のような部分の歌詞をかなり自由に、語尾や口調を変えて歌われていて、とても自然で。40年も、表現者としてピアノと歌と生きてきた者の底力というか、圧倒的力強さというか。「ISE-TAN-TAN」と歌う部分はもはやCDとは別物。さすがジャズ畑出身で、決して同じ演奏を二度しない矢野顕子の真髄を見た。

 

youtu.be

 

 伊勢丹従業員の伊勢丹愛に溢れたPVもとても素敵なのでぜひ見てみてください。

 

 

 「昔、糸井重里のほぼ日に”矢野顕子をほめる”という企画があって、色んな人に褒めてもらいました。”あの曲いいよね”とか”こういうところが好きだよね”とか言ってもらって、そりゃあ本人は良い気持ちで。で、お返しがしたいと思って書いた曲で、当時は断片だったものをまとめました」と言って歌われたのは新曲『ほめられた』。なんて素直なタイトル!客席からも思わず笑いがこぼれる。シンプルな言葉づかいで、率直に思いを表現する歌詞。歌詞単体で見たらなんてことない言葉の羅列も、矢野さんの表情豊かな顔と、表情豊かなピアノ、純真さを体現するような歌声に乗せられると、その意味がただただ輝きだす。思わずこっちまで嬉しくなってくる。

 

 

 何だかどこかで聴いた曲だなあと思いながら記憶を探っていると、大貫妙子の『突然の贈りもの』だと気づいた、5曲目。2曲目でも感じたが、曲の持つ感情を引き出すことにかけて矢野さんの右に出るものはいない、と再確認。今回のライブに当たって、大貫妙子に向けた矢野顕子の言葉は「わたしは大貫妙子さんのことを、曲一つで映画一本作り上げる女、と勝手に命名した」だったが、まさにその通りの物語性のある詞を堪能し、映画を観終わったような感覚に包まれた。

 

 

 「随分昔の曲で何度も歌っているから、もう矢野さんのものにしていい」なんて言いながら大貫妙子、登場。黒く縁取られた白いレースの仕立てのいいワンピースで、胸元には白い花のブローチが美しく鎮座。矢野さんとはまた別のベクトルでかわいらしい大貫さん。とても63歳には思えない。前述の話を矢野さんと繰り広げる中、矢野さんのカバーによる『突然の贈りもの』を「相変わらず変なところで繰り返すなあと思った」という大貫さんの言葉に場内爆笑。「大貫さんの中でも代表曲とされている曲だけど、やっぱり歌詞に難しい言葉がなくて、シンプルだからかも」と矢野さん。そこに目が向くあたり、確かに矢野さんの歌詞は”生”の言葉が多いような気がする。

 

 

 そのまま楽曲の話へ。「1曲1曲に人格みたいなものがあって、ちょっとずつ距離を縮めていく。次はこの曲、その次はこの曲、みたいにとっかえひっかえすることはできない」と矢野さん。大貫さんの「矢野さんもそうだけど、私も曲が多くて、ライブでは一部の曲しかできない。埋もれているものもあって」という言葉に対する「いらないものがあったらください!トラックで引き取りに行きます」という先の話は何だったんだというような矢野さんの言葉に笑った。

 

 

 山弦の『GION』という曲に、大貫さんが歌詞をつけたという『あなたを思うと』という曲を、贅沢にも大貫さんと矢野さんのデュエットで。「でももう自分の曲みたいなもんでしょ?」という矢野さんの言葉に、「あなたもそういうの多いでしょ」と大貫さん。その後、「今じゃもっと図々しいかも」「もっと謙虚にならなきゃ」と言って笑いながら歌われたのは大貫妙子さんの『横顔』という、恋する乙女の健気な心情が歌われる曲。

 

 

 89歳にして現役の歌手トニー・ベネットの話をしてから、トニー・ベネットの『The Playground』のカバーに。この曲は大貫さんのソロで歌われ、矢野さんは伴奏に徹していた。幼少期の思い出を訥々と綴る歌詞から、お互いの幼少期の「Playground」を話し合う。矢野さんは青森出身というだけあって、家から学校までスキーで登校した話などをされていた。大貫さんの昭和20年頃、杉並区は一面レンゲ畑が残っていて、ザリガニ捕りをしていたという言葉にびっくり。「昔に戻りたいと思っても、もう当時住んでいた町には面影がない」「東京には故郷がない」という言葉に、兵庫の田舎から上京したばかりの私は色々と考えさせられた。また、大貫さんの「友だちがいなかった、レース編みやクロスステッチが友だちみたいなものだった」という話に矢野さんが何故かと問いかけると「協調性がないからかな」と大貫さん。「あなたもそうでしょう?」という発言には笑った。

 


 続いて『虹』という大貫さんの楽曲をデュエット。「大貫さんの歌詞は日本語が美しい」という話から、歌詞の話に。大貫さんがカバーしたいと思う基準はやはり”歌詞”らしい。「”てにをは”だけでも変わる」と大貫さん。例えば「語尾が”だぜ”だったとして、女の人は”だぜ”なんて基本的に言わないでしょう。だから”だわよ”とかに勝手に変えちゃう」「私はもう好き勝手やってますよ」という矢野さん。

 

 

 「検閲…検閲じゃないか(笑)、そんなに歌詞を変えて色々と大丈夫なの?」という大貫さんに、矢野さんは「分からないけど、何か言われたことはない」「小田和正さんには”随分好きにやっているようだね”と呆れながら言われたけど(笑)」。そして「”矢野さんなら”ってなりそうだもんね」と大貫さん。

 


矢野さんは歌詞に共感できないと「私はそんなこと思わないけどなあ」と思って歌えないと、例え話に「よく”嘘でもいいから愛してるって言って”みたいな歌詞があるけど、嘘じゃ嫌よ」と挙げながら話す矢野さん。「私は歌詞が気に入らないと、言葉を変えるとかよりも、自分で作った方が早いと思う、と大貫さん」。「最近の人は鼻濁音(鼻に抜けて発音されるカ行濁音)が出せない」という話になったときに、昔あえて「私”が”」と歌ったところ、「そこは、私”ンが”よ」と言われたことを思い出した大貫さん。

 

 

 先程の「曲に人格がある」「共感できないと歌えない」という話、また歌詞に並々ならぬ思いがあることが分かり、だからこそ矢野さんも大貫さんもかなり特徴がある、癖がある声質なのにちゃんと言葉が耳に届き、情景が頭に思い浮かび、ただの歌詞よりも胸に響くのだろうなあと思った。当たり前のことだが、本人の気持ちが入っているのだ。だからカバーに重みがある。そこが大きいのだろう。

 

 

 という話の中で、「この年になると歌えるかなと思った」と言い大貫さんがひとりで歌った『聞かせてよ、愛の言葉を』という有名なシャンソンの楽曲の中で、「聞かせてよ (中略) その言葉「愛す」と (中略) たとえウソでも良い」という歌詞があったのには笑った。矢野さんも意図したわけではなかったらしいが、大貫さんは少しビクッとしていたらしい。「でも10代の女の子が言うのと、60代の女性が言うのとでは、また言葉の意味も変わってくるでしょう」と大貫さん。年齢と共に歌える曲が変わってくる、というのは何とも面白いなと思った。曲もまた、老いてゆき、深みが増してくるのだ。

 

 

 本編最後に歌われたのは矢野さんの大名曲『ひとつだけ』。母が大好きな曲だと知っていたので、涙が止まらなかった。ライブの途中で、大貫さんがお米を作られているという話から、田植えの話が続き、大貫さんは「田植えのモードになっちゃって、歌手のモードに戻すのが大変」と仰っていた。対して、矢野顕子はMC中にも気がつけば即興でピアノを弾いていて、話し声と歌声の境界もほとんどない。”歌”と”日常生活”に区別がなく、矢野さんの日常そのものが歌なのだと、改めて思わざるにはいられず、またその尊さ、その稀有な存在に感動を覚えた。大貫さんのウィスパーボイスでありながらも、決して重たくなく、まろやかな朝靄のような歌声と、矢野さんの猫が喋っているかのような高音のかわいい声から、往年のシャンソン歌手のような力強い低音の唸り声のハーモニーは本当に絶妙だった。

 

 

 途中で腹筋補助器具「ワンダーコア」の話で盛り上がったり、「世間ではワイン片手にアンニュイに本を読んでいる、みたいなイメージがあるけれど、日本家屋に住んでいるし、最近は日本酒の方が好きだし、田植えもする。おまけに落ち着きがなく、常にちょこまかと動き回っている」と大貫さんのイメージが覆されたり。2人の掛け合いがとても面白く、何だか大人だけど少し天然なお姉さんの大貫さんと、自由奔放で純粋な妹の矢野さん、というような感じだった。

 

 

 アンコールで、大貫さんが作詞、矢野さんが作曲したという共作曲かつ、薬師丸ひろ子さんへの提供曲「星の王子さま」を歌い、「また共作しよう」と2人と約束した後、大きな拍手の中、大貫さんが舞台を後にする。「何も考えずに、誰かのために弾くのではなく、技術を誇示するだめでなく、ただ自由に弾く。それが私のミュージック、音楽の源」だと言って、最後にイングランドの最も古い民謡「グリーンスリーブス」を主題に、10分ほど即興された演奏は、まさに矢野顕子の音楽、矢野顕子そのものだった。

 

 

 思えばライブ中、ずっと泣いて、ずっと笑っていたような気がする。矢野顕子という大きな才能の純粋な塊に触れられただけでも大変なことなのに、おまけに大貫妙子というこれまた優れた才能を持つ女性シンガーソングライターまで味わえ、これ以上ない親孝行になった。これから少なくとも大学4年間はこちらでひとり暮らしをすることになるが、私も母も、忘れられないライブに、思い出になった。特にグッズを買うつもりはなかったのだが、アンケートを書いた後、マンガ家浦沢直樹が書いた40周年記念イラストが描かれたクリアファイルを買い、母にプレゼントした。ついていたステッカーは私がもらった。ちょうど明日は母親と私の誕生日。姉とはYUKIのライブに、父親とはサマソニに、そして母親とは今回の矢野顕子のライブ。家族とのライブでの思い出が、これで全員分集まった。きっと、何十年経っても、忘れられないライブの思い出と共に、家族のことを思い出せるのだろうと思いながら、胸をいっぱいにして、眠りに就くことにする。

 

 

セットリスト

 

01.そりゃムリだ
02.中央線
03.ISE-TAN-TAN
04.ほめられた
05.突然の贈りもの

 

大貫妙子と共に)
06.あなたを思うと
07.横顔
08.The Playground
09.虹
10.聞かせてよ、愛の言葉を
11.ひとつだけ

 

EC1.星の王子さま
EC2.(グリーンスリーブス)

 

 

 

 

共感とは 2

 倫理の授業で第二次世界大戦時の映像を見た。

 

 昨年末のことだった。厳しい冷え込みの中、教室の隅に置かれたストーブの熱だけでは心許なかったので、こっそりマフラーを巻いていたのを覚えている。執拗に繰り返される重厚なメインテーマとどこか冷めた語り手の声がモノクロの映像によく合っていた。現代の哲学は、悲惨な戦争をもたらした近代文明の問い直し、人間の理性への批判から成っている、という理由で見せられたのだった。女子学生はかなり衝撃を受けていて、授業後気分が悪そうにしている子も見受けられた。教室を出て行きながら友人たちと「すごかったな」なんて簡素な言葉を口にするのは、また日常生活へと少しずつ移行していくための儀式のようだった。

 

 帰宅後調べてみると、予想通りNHKの『映像の世紀』から『第5集 世界は地獄を見た』だった。「授業という形式で、全員に問答無用で見せるなんて」と憤っている男子学生もいたが、正直なところそこまで凄惨な映像であるとは思えなかった。観賞中、私は劇伴や同時の生活様式、建物や車などに関心が向いて、深く胸を打たれるということがなかった。そのことに少し呆然とした。

 

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§

 

 NHKに『むちむち!』という番組があったのを思い出した。「女子高生の目線で、日本を旅する新しいドキュメンタリー」と銘打たれて始まった番組。東京・渋谷の女子高生を沖縄・普天間基地や四国のお遍路に連れ出し、現場を体験させるというものだった。

 

 普天間基地に連れ出されたのは渋谷の美容系高校1年生の美緒さんと彩花さん。”今風”の女子高生だ。NHKのディレクターは「普天間を肌で感じてもらう旅に出る」「行先は沖縄」とだけ伝える。「普天間」が何かを知らない2人はもちろん喜ぶ。そんな彼女たちが連れて行かれるのは普天間基地、戦争資料館。「頭蓋骨ってアトラクションとかおばけ屋敷でしか見たことない」「そういう気持ちで沖縄に来てたわけじゃないからちょっとびっくりした」と苦しみながら少しずつ言葉を紡ぐ2人。美緒さんは心情の吐露に際して広島弁が出ていたのが、何だかとても自然で素直で、胸に響いた。

 

 旅の本当の目的は「70年前の沖縄戦の悲劇を実感する」ことで、最終的な目的は「遺骨を収集する現場に立ち会う」ということ。NHKのディレクターに「行くか行かないか」を尋ねられた2人。美緒さんは「見るだけ見たい。やるのはちょっとできないかもしれない」。彩花さんは「待機で。死んだ人が興味本位できてほしくないと思ってるって私は思う。興味本位くらいなら私は待機していようと思った」とそれぞれの選択を下す。

 

 30年以上遺骨収集に取り組んでいる具志堅さんと共に、遺骨収集の現場に実際に立ち会った美緒さんは苦痛に顔を歪ませながら「怖い」と先に進むことを拒む。ディレクターに「何が怖い?」と訊かれても「何がって。怖い」と涙を流し、遺骨収集の現場に入れない。「凍りついて動けなくなってしまう。それをどうしてと聞いても答えきれない。何年もやっているうちに、薄れてしまっていた怖さなのかもしれない」「ずっとやっているうちにそういうのに鈍感になっていったのかな」と悲しそうに笑う具志堅さんの表情が頭から離れなかった。

 

 「戦争に巻き込まれないような未来をつくってね。それはあなたたちがつくることができるんだから」とだけ最後に語って、具志堅さんは帰って行った。「聞いたことも来たことも見たこともたぶん嫌でも覚えると思う」と少し怒りをにじませながら語る彩花さん。「”死にたい”とかそういう発言はしちゃいけないって思った。強く。生きたい人も亡くなっているから」と言う美緒さん。

 

 何も知らない惨劇を受け止めるには心の準備がいる。女子高生の”共感能力”への配慮を欠いた番組構成と、横柄なディレクターの態度と対照的に、問題を素直に受け止め、自分の頭で考え、自分の意志に基づいて行動する女子高生たちの知的で純粋な姿に胸を打たれた。「無知な女子高生」にNHKのディレクターが愛のムチを打つ番組とのことだったが、”教養のある”NHKのディレクター陣よりも、女子高生の方が感受性も配慮も思考力も礼儀作法も上で、結局「本当に無知なのはNHKのディレクターの方だった」というなんとも皮肉的な番組だった。

 

 お遍路に連れて行かれた女子高生にもまた感嘆させられた。予想とは違う旅の内容に不満をこぼす女子高生に対して、NHKのディレクターが「じゃあ帰る?」と言うと、「嫌だ。そうやって言われるの嫌い」と答え、何が嫌いかと問われれば「そういう自分が嫌いだから。そういう人が嫌いだから」と断言する。お遍路を”おもてなし”を行う側として実際に体験した旅の最後では「この人たちは当たり前のことを普通にやってるのに、それをうちらがやると”偉いね”に変わっちゃうのがなんか嫌で。なんだろうな、この人たちがやってることを当たり前に私たちができるようになりたい。このお遍路で”偉いね”ばかり言われていた気がする」と涙を流しながら答える女子高生の姿は何とも高潔だった。

 

 「無知」には「おろかなこと。知恵がないこと」という意味がある。しかし、女子高生は決して”無知”ではない。ただ”知らない”というだけだ。『むちむち!』はどうやら初回で打ち切りになっていたようだが、確かに制作側の気持ち悪さを感じた番組だった――のだが、世間の主な反感の矛先は私とは違っていた。「街でスカウトしたちょっとムチな女子高校生に、番組ディレクターが愛のムチを打つ、全体的にムチッとした番組です」という番組紹介に関して、だった。どこか性的なニュアンスを感じさせ、若い女性に対する蔑視、セクハラであるとして批判の声が上がっていたそうだ。男性である私は、その点に関しては何の違和感も抱かなかったので、何事も視点はそれぞれで、無意識の言動がセクシズムを孕む危険性があるのだと再認識させられたのだった。

 

§

 

 『むちむち!』という番組のNHKのディレクター陣を批判したが、前述の倫理の授業中に感じた同級生との”ずれ”は『むちむち!』におけるNHKのディレクターと女子高生との”ずれ”と同じではないかと身につまされた。何事でも知識が深まると、感情の深度は浅くなる。それが体験を通じたものであったなら尚更だ。今年はちょうど戦後70年ということもあり、戦争の惨禍の映像を多く見てきたがゆえの、入り込めなさだったのかも知れない。思えば幼少期の方が何事にも深く共感しやすかったものだ。感動的な本の内容を思い出すだけで泣けたり、インターネットで猟奇殺人の記事を見て数日間気分が悪くなったり。

 

 今回、”共感”というテーマでこの記事を書いているが”共感”とは一体何だろうか。”芸術”と”共感”との交わり、そしてそれにより引き起こされる”感情”に的を絞って書いてみる。

 

 書籍や映画など、物語における共感は、登場人物に自己を投影し、感情移入することで得られることが多く、それにより感情が揺り動かされる。しかし、音楽における共感とは何か。言動が音楽に直結している類のシンガーソングライターの場合は、その人のパフォーマンスの尊さに感動したり、その発言に代弁を得たような気がしたりしたときにファンは共感できる。また、歌詞の情景に、ある思い出を想起したり、自分の体験を重ね合わせたりして共感、感動する形もある。西田幾太郎の言うところの純粋経験で芸術作品を楽しむことなど、普通はあり得ない。

 

 しかし、先日私は共感とはまた別の形で、ある歌手のライブで泣いた。曲を聴きながら、その曲を好んでいた当時の思い出を突如として想起し、現在の自分との隔たりを認識することにより、成長を感じられ、泣いたのだった。言わば、思い出の追体験ができたからだった。曲自体に、また歌手のパフォーマンスに感情移入したわけではなく、曲自体が”鏡”となり、感動したのだ。

 

 私は長らく芸術作品で感動するには共感が必要だと思い込んでいた。しかし、感情移入ができる/できないに関わらず、一連の感情の昂ぶりを引き起こす美しい流れがあり、それが突然弛緩するポイントが設けられ、一定のカタルシスが得られると人は感動するのではないかという考えに思い至った。ライブも終盤に差し掛かる頃だったので、曲順やパフォーマンスにおいて「一連の感情の昂ぶりを引き起こす美しい流れ」を味わい、初めてライブで聴けた好きな曲のイントロが「それが突然弛緩するポイント」となり、思い出のフラッシュバックという「一定のカタルシスが得られ」たために、私は感動したのだ。

 

 しかし、他の曲が”思い出のファクター”となってもおかしくはなかった。その曲で泣いた、ということはその曲に”思い出のファクター”と成り得るだけの力が、そして私がその曲を好きだと思う気持ちがあったから、という前提があるのには間違いない。以前私は「共感とは」という記事において、共感とは”相手を自分に引き寄せて発生させるもの”ではなく、”自分を相手に歩み寄らせて発生させるもの”だと書いた。そうなのだ、”共感”とは、”歩み寄り”なのだった。「共感は自分の意識の範疇を抜け出さないことは確かなのだろう。しかし、それゆえに”自分の側に相手の体験を受け止められる経験の蓄積が”ない場合でも、分かり合おうとすれば、歩み寄ろうとすれば、共感は必ず生まれるのだと思う」と、ちょうど一年前の私はそう書いていた。共感がなくても、感動できたのはその曲に”歩み寄れる”だけの愛着があったからなのだ。都合よく考えるとすれば、そこで私は過去の自分自身に”共感”したのかも知れない。

 

hatayu.hateblo.jp

 

§

 

まるで自分で見て聞いたように
話す奴ばっか
画面の向こうの悲しみの
一体何を知ってるっていうんだ

 

ネットもニュースも僕らも
毎日忙しい
ほんとか嘘かを放っぽって
騒ぎ立てる鳥の群れ

 

言葉はひどく罪深い
一番簡単な武器だ
名前のない怪物たち
名前が欲しくて振りかざすけど

 

巷にあふれる噂の陰で今日も死んでゆく誰かの名誉

 

 

(日食なつこ「ヘールボップ」より抜粋、引用)

 

 

 細い山道を車で走っており、カーブでうまく曲がり切れずに落ちてゆく――という類の夢を近頃続けて見た、という話を友人にしたところ、「バス事故のニュースを見過ぎたのではないか」と言われた。あまり真に受けなかったのだが、先日バスに乗っていると、運転手が異常な運転をし始め、しばらくしてバスが横転するという夢を見て、どうやらそうなのだと腑に落ちた。

 

 1月15日未明、長野県軽井沢町の山中でバスが横転し、14人が死亡したという痛ましい事故が起こった。亡くなった乗客の全てが大学生であったことが世間の関心を引き、メディアの取材は過熱。亡くなられた方の個人情報を連日散見し、何だか嫌気がさしてあまりニュースを目にしないようにしていた。

 

 

 今回のバス事故に際してうんざりした出来事がある。亡くなった方のTwitterアカウントが探し出され、そこでの発言があげつらわれたのだ。例え人道に悖るものだったとしても、故人の発言を都合よく抜き出し、撒き散らして、寄ってたかって罵倒するなど言語道断である。しかし、最近ふと新たな解釈――物事の気持ち悪さに対して腹の虫の居所をその場しのぎに設えただけかも知れないが――に思い至った。人望が厚く、確かな夢を持つ、前途洋々たる未来を持つ若者の尊い命が失われたことへの遣り切れなさ、同情、苦しみ、怒りを安易に誤魔化そうとして、「故人は聖人ではなかった」と、因果応報であると、”「死」に正当性を与える”行為なのかも知れない、という考えに。事故に深く思いを寄せ過ぎるあまり、被害者への共感が行き過ぎ、心が受け入れられる積載量を越え、精神の平穏が脅かされたことへの自己防衛なのだ、と。

 

 以前、母親に今日マチ子というマンガ家の『ぱらいそ』『いちご戦争』といういずれも戦争を扱った作品を見せたときのこと。『ぱらいそ』はストーリーものの作品なのだが、『いちご戦争』は「撃たれた飛び散る内臓はいちごとなり、戦線にはシロップの血が流れ、マシュマロ戦艦が沈んでいく」というように、戦争で死んでいく少女を兵器や腸に模したお菓子や果物と共に描いた画集だった。私たち若者世代――『むちむち!』の女子高生のような――からすると、戦争の惨禍をより触れやすい形で目にすることができる、というだけなのだが、母親からすると「今程規制が厳しくないテレビで昔見た戦争の死者の写真を思い出して、読むことができなかった」と、目を通せるものではなかったようだった。これも一種の自己防衛なのだろう。倫理の授業中での私の共感能力の欠如、注意力の散漫さも、多少都合よく捉えると、当時の人物に深くコミットメントすることで心に傷を負うのを避けた、ということなのかも知れない。

 

§

 

 自己防衛といえば、教科書に載っていた鷲田清一の『ぬくみ』という評論に感じたことがある。

 

 電車の中で半数以上の人が、誰に眼を向けるでもなく、うつむいて携帯電話をチェックし、指を器用に動かしてメールを打つシーンに、もう誰も驚かなくなった。誰かと「つながっていたい」と痛いくらいに思う人たちが、互いに別の世界の住人であるかのように無関心で隣り合っている光景が、私たちの前には広がっている。

 

 

鷲田清一「ぬくみ」より引用)

 

 私は田舎で生まれ、田舎で育った。一日に会う人の数は限られおり、そもそも出会う人のほぼ全員の情報を知っている。初対面であっても、どこかで人間関係が繋がっていたりする。癖なのか、電車に乗るとどうしても同じ車両に乗り合わせている人々に目が行く。顔、行動、ファッション、家族構成もしくは関係性、イヤホンをしていなければ否応なく会話も耳に入ってくる。カップルが喧嘩しているとハラハラするし、泣き喚く赤ちゃんを必死であやすお母さんを見ると胸が痛むし、理不尽に人を罵倒する会話を聞くと憤ってしまう。目に入る全てに情動を動かし、共感しようと、歩み寄ろうとするとすると、ひどく気疲れし、自分が摩耗するような感覚に陥る。以前満員電車をやり過ごすコツは「周りに居るのが人間であることを忘れること」だというようなツイートを目にしたことがあるが、本当にそうだと思う。共感が自分の積載量を越えないように、イヤホンで耳を塞ぎ、スマホに目をやり視界を狭める、というのも一種の自己防衛なのだと思う。

 

§

 

そもそもなぜ自分が戦争から目を逸らしていたのかについて考えると、怖いという思いが強かっただけでなく、描かれている人物にあまり共感できなかった、というのもあったと思います。日本では戦争に対して不思議な郷愁を感じやすいというか、憧れることはないにしても、描かれている悲しみや叙情性に惹かれやすい気がしていて。それもあって、主人公も一方的な被害者として描かれるのかもしれませんが、そこが不満だったのかもしれません。

 

 

(wotopi 「漫画家・今日マチ子と考える戦後70年」より引用)

 

 先程名前を挙げた今日マチ子は、マンガという媒体で戦争被害者の”聖”と”俗”の隔たりを埋めようとしている。『アノネ』というアンネ・フランクを題材にした作品では”健気な少女だけど、今の時代にいてもおかしくない、普通の感性を持った少女。なのに「日記の一部を読んだ世界中の人が、アンネを聖少女に作り上げてしまった」ことに違和感を抱き、彼女をモチーフにしたマンガを描くことで、「戦時下では無視されてきた、『少女たちの普通の姿』に光を当てたかった”と語る。

 

imidas.jp

wotopi.jp

 

 哀惜の念を表するあまり、被害者の人物像を白く塗りすぎると、黒い染みが自然と浮かび上がる。バス事故での被害者の方のツイートに私は驚かなかった。ただ、尊い命が道半ばで残酷にも失われてしまったというだけで、普通の大学生であることには変わらなかったはずだ。聖人のような扱いで、何事も美談に仕立て上げ、安易に視聴者の同情を、共感を誘うと、反感を持つ人は必ず出てくる。

 

戦争で亡くなるとどんな人でも、『純真無垢で、何も罪のない一般市民』のように語られてしまいがちですよね。もちろん、それもあるかもしれない。でも誰もが普通の人であるがゆえに罪を抱えているはずなので、そこも描かないと逆に、亡くなった方に失礼なのではないかとずっと思っていました。ユーカリが白い絵の具にこだわるのは、自分が白くないことをわかっていて、白に憧れているからなんです。

 

 

イミダス 連載 第6回 今日マチ子「戦争と想像力」より引用)

 

あくまでフィクションとして描けるのが漫画の醍醐味なので、政治的、思想的な意味は込めず、戦争について今自分が思うことを“記録”し、漫画としてちゃんと面白く読める作品にしたいと思いました。もちろん体験者の方々の実話が受け継がれていくことはとても大事ですが、漫画は「たかが漫画」だからこそ色々な人に読んでもらうことができ、そこがいいところでもあるので。

 

 

(wotopi 「漫画家・今日マチ子と考える戦後70年」より引用)

 

 例えば今回のバス事故で被害に遭われたのが、もっと年上の、もっと自分とは程遠い境遇の人であればこれ程までに心を動かされることはなかっただろう、ということは避けがたい事実だ。しかし、被害者の方の情報に、手軽な形で自らを歩み寄らせ、共感する、共感できていると思い込むという自分本位な共感の仕方は絶対にしたくない。自分の共感のキャパシティを認識した上で、情報に触れるということも大切だ。共感が誤った方向に進んだときの恐ろしさは想像に難くない。

 

 共感とは、”自分を相手に歩み寄らせて発生させるもの”だと書いたが、これもある種の危険性を孕んでいる。”歩み寄った相手”というのが、自分が勝手に作り出した妄想の産物かも知れないからだ。実際の"相手"と、”歩み寄った(と思っている)相手”との間に隔たりがあった場合、相手への好意がそっくりそのまま嫌悪に反転してしまう可能性がある。卑近な例になるが、俳優にしろ歌手にしろ――ある人物に熱をあげていた人が、その人物の”不祥事”で熱烈なアンチに変わる、というような場面は頻繁に目にする。

 

§

 

 ヤマシタトモコの『ひばりの朝』という作品は、他者への認識能力の不確実さを気持ち悪い程に描き切った怪作かつ傑作だ。「日波里(ひばり)」というひとりの中学生少女を軸に繰り広げられる短編物語で、主人公は「ひばり」なのだが、短編のそれぞれが「ひばり」以外の登場人物の一人称形式で展開する。そこにあるのはただただ「主観」である。他者の主観だけを頼りに、そして「ひばり」の視点が不在のまま、「ひばり」という人間が歪んだ形で形作られてゆく。

 

www.amazon.co.jp

 

 Amazonのレビューにあった「共感できない人物と、共感しかできない人物達が織り成す悲しい物語」という言葉が言い得て妙だと思う。登場人物のひばりへの感情を”共感”とは呼びがたいが、少なくとも登場人物が”歩み寄ったひばり”はどこにも存在していなかった。”共感しかできない人”はその共感能力の高さゆえに相手の言動を自分と重ね合わせ、曲解してしまうきらいがある。また、”共感できない人”はそもそも相手に情動を寄せようという気がないために、相手を都合よく解釈することしかできない。対象にそもそも好意がない人はアンチになりやすく、対象に関心がありすぎる人もまた、幻滅からアンチになりやすい。作中で唯一、ひばりを全人的に正しく見られたのは、適切な共感能力を持ちながらも徹底的に無関心な女教師だけだった。

 

 レヴィナスの他者論によると、「他者」は「私」にとって操作できる存在ではなく、むしろ理解することすら絶対にできない存在だと言う。今一度、共感について、共感の仕方について考えてみなければならない時が来ている。

 

d.hatena.ne.jp

 

家でも 職場でも
見下されるのが 私の仕事だが
傷つかず 良心も痛まない
ので
問題ない

 

…傷つかず 良心も痛まない

 

…手島日波里は


クラスメイトらの囁く噂のような子どもでは ない

大人の期待する淫らさを持ち合わせてもいない

見た目こそ妙に大人びて特異ではあるが

凡庸で 人並みに愚かで 人よりは少し臆病で まだ性の何たるかを知らない

 

それは そと見でなく
彼女を見れば
誰にでもわかる 簡単に

 

わかる のに

 

なぜ誰も

 

母親まで なぜ

 

傷つかない はずの 心が

なけなしの良心が

 

き し む

 

軋む

 

 

ヤマシタトモコひばりの朝」から女性教師のモノローグより引用)

 

§

 

 共感について記事を書こう、と思いつつも今ひとつ筆が進まない中、敬愛する作家・梨木香歩岩波書店の『図書』1月号から往復書簡という形式で連載を始められ、1回目は『共感の水脈へ』というタイトルで、妙な偶然もあるものだと思わされた。全体を通して、文章の、文脈の美しい流れがあるため、一部だけを抜き出すのは嫌なのだが、仕方なく抜粋する。

 

 何か道があるはずだと思うのです。自分自身を侵食されず、歪んだナショナリズムにも陥らない「世界への向き合い方」のようなものが、私たちの日常生活レベルで。

 

 (中略)私はカリーマが、台所でタヒーナをつくってくださったときのことを思い出していました。真剣に、一心不乱に、クリーム状になった胡麻とレモン汁を少しずつ、少しずつ、混ぜ合わせていた。本来違う性質のものたちを、案配を見ながら、分離していかないように、調和のうちに溶け込ませていく。細心の注意を払って、少しずつ、少しずつ。

 早さや量に重きを置くのではない。それは、何グラムとか、何分、とか、そういう数字で測れるものではなく、こうやって人から人へ、気配と呼吸を感じながら伝わっていく「営み」なのだと、あのとき感銘を受けたものでした。

 エジプトの料理は、難しいわざや複雑なレシピとかはあまり関係なく、ただ人の根気と愛情がいっぱい入っている、だから、体にも心にも優しいものなのだ……。以前にお聞きしていたこのことばが、文字通りあのとき、血肉を通して、甦ってきました。

 私はそういうふうに、たとえばイスラームに、アラブに近づきたい。付き合いながら合点していく友人の癖や習慣を知るように、絶えざる関心の鍬をもって、深い共感の水脈を目指したい。そう願っています。

 

 

梨木香歩「共感の水脈へ」より抜粋、引用)

 

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 先日、精神的に疲弊する出来事が続き、いっぱいいっぱいになっていたとき。もうどうしようもなくなっていたとき、早朝の5時だったにも関わらず、たまたま友人と連絡のタイミングが合った。あまり自分のことを話すのが得意でない上に、心の傷を誰かに伝えることが好きでない性格のために、苦労したのだが、ぽつりぽつりと受けた精神的な痛みについて、友人に語ってみた。直接会えばきっと言えなかったはずだが、電話の、近いようで遠いようで、でも近い、絶妙な距離感のお陰か、話すことができた。そんな中で、友人も自身の心の傷について語ってくれて、お互い共感することが多かったため「分かる」「分かる」と馬鹿みたいに言い合ったのだった。「自己」と「他者」はどうしたって他人であるし、どうしたって分かり合えない。でも、共通点を探ることはできるのだ。深い共感の水脈を探ることはできるのだ。日常生活における”共感”から、社会問題、果ては遠い世界に生きる人物への”共感”まで。どれだけ近しい人間であっても――例え肉親で合っても分かり合えないことは多い。日常から、距離的に、時間的に、精神的に。遠ざかれば遠ざかるほど、共感の水脈を探るのは難しくなる。しかし、しかし探り続けなければならないのだ。生きるためには。人と、関係を持って、生活するには。時には堰を築くことも大切なのだろう。共感の水が溢れてしまわないように。しかし、滞りなく、絶えず、絶えず、水脈を保たなければならない。全ての流れを塞いでしまえばたちまち、干乾びてしまう。

 

 安易な傷の舐めあい方、安易な共感の仕方はしたくないし、されたくもない。でも、あのとき。私は、確かに「分かるよ」という言葉に救われたのだった。とても。

 

 深い、深い共感の水脈に、清澄な水を。滞りなく流せるように。これからも私なりの”共感”の形を探し続けていきたい。

 

 

雑記 / テレビ・生きること・インプット

 別にブログに書くほどの内容でもないのだけれど、Twitterに垂れ流すのもどうかなあと思って。

 

 

 

 夕べ溜めていた録画を半分ほど消化した。内訳は、『日曜美術館「夢のモネ 傑作10選」』『テクネ 映像の教室「ループ」』『SWITCHインタビュー 達人達 「日野原重明×篠田桃紅」』『スーパープレゼンテーション「生命をデザインする 合成生物学の最前線」』『プロフェッショナル 仕事の流儀「雑誌編集長・今尾朝子」』。全てNHK

 


 『日曜美術館』のモネ。ちょうど粟津則雄著の『美の近代』という「光と闇」をテーマにモネとルドンを対比し、その対称性と共通性から近代の美の特質を示すという新書を読んだばかりだったため、モネに対する理解がより深まった。白内障を患い、失明の危機に瀕する最中、79歳のときに制作された『睡蓮』。『美の近代』の中に、あるアメリカの女流画家に語ったモネのこんな言葉が記してあり、まさにこの『睡蓮』と響き合うものだった。3月1日から21日まで京都展で『印象 日の出』を含む、モネの傑作の数々が鑑賞できるようなので、春画展の巡回と共にぜひ参加したい。

 

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 「絵を描くときには、自分の前にあるものが何であるかを忘れる必要があるんですよ。樹であろうが家であろうが野原であろうがその他何であろうがね。そしてただこう考えるんです。ここには小さな青い四角がある。ここには薔薇色の長方形がある。またそこには帯状の黄色があるというふうにね。そしてただあなたに見えた通りに描くんですよ、正確な色と形で。眼前の風景に感じられる率直な印象が表現されるまで」

 

 

 『テクネ』のループは、1980年のズビグ・リプチンスキーという1949年ポーランド生まれの映像作家の1980年『Tango』という作品と出会わせてくれた。1983年アカデミー賞(アメリカ)最優秀短編アニメーション作品。ズビグ氏はジョン・レノンの『イマジン』のMVなども担当されている著名な方だそう。無知だった。YUKIの『YUKI concert tour“Flyin' High”'14~'15』というツアーで、衣装替えの時間にお伽噺のプリンセスたちがループする映像が流されていたのだが、どうやらそれの元ネタのようだった。紹介された映像の中で気に入ったcyriakの『Cycles』も合わせて載せておく。

 

www.wat.tv

 

www.youtube.com

 

 

 『SWITHインタビュー』での、104歳日野原重明103歳篠田桃紅の対談は圧巻だった。「もっといいものが描けるはずだと思っている。だからできたものが気に入らない。私には謙虚な気持ちがない」「よくいえば自由、悪くいえば自堕落」という篠田さんの歯に衣着せぬ痛快なお言葉。「その瞬間、瞬間が本当の生き方。瞬間の中に生き方のエッセンスがある」という日野原さんの齢の重みのある晦渋なお言葉。「命とは与えられたもので自分で作ったんじゃない。与えられた命を芸のため、絵のため、人のため、命を出すことが生きていく上で大切なこと」。「生きることを許される限り自分がどう生きがいを持って与えられた命を終えるか」。聖路加の院長として4000人もの患者を看取ってこられた日野原さんのお言葉。篠田桃紅さんのあっけらかんとした立ち居振る舞い、素直なお言葉はとても好きだった。「何にもやりたいことがない」という若者の言葉に対し、篠田さんは「老いたる人のやっていることが若い人には憧れたくない。憧れられない」とし、「老いているものの責任」だと仰られていたが、私は日野原さんと篠田さんの生き方を垣間見て、長生きしたい、100歳まで生きてみたいと思わされた。

 

 

 『スーパープレゼンテーション』も面白かった。MITの准教授ネリ・オックスマンによる合成生物学を伝えるTED。「自然にとっての母」になるという言葉が印象的だった。メディアラボが30年前にできたとき、まだ世の中にコンピュータというものは普及していなくて、創始者のニコラス・ネグロポンテがデジタルという言葉を世に広めたそうだが、その彼が今「Bio is the new degital.」だと言っているそう。これから、ありとあらゆる分野――日常生活においても――バイオは普遍的なものになるらしい。改めて、ビョークの『Biophilia』やアンリアレイジの衣服における先見の明に脱帽。文系なものでどうしても理系の分野は敬遠しがちだが、たとえ理解が追い付かなくても、きちんと最先端の技術に触れておくこと、自分の理解の範疇には置いておくことは大切だなと再認識させられた。何をするにも、どこに進むにも、もうバイオを無視することはできないのだから。

 

 

 『プロフェッショナル』のVERY編集長・今尾朝子さんも良かった。紙面をひとつ作ることの大変さ。普段雑誌を読む上で気にも留めない言葉のひとつ、レイアウトのひとつが、編集者の、ライターの、デザイナーの、何時間にも及ぶ苦悩の末の最善の形であることを、頭の片隅に留めながら、何を読むにも何を聴くにも、丁寧に味わうようにしたい。独りよがりにならずに、常に読者が何を求めているかを追求すること。"答え"を全て自分で出さないこと。仮想で話をしないこと。心に深く刻んでおく。

 

 


 NHKの番組には全幅の信頼を寄せていて、ここのところ8~9割はNHKを観ているため、独り暮らしを始めても喜んで受信料を払わせていただく所存なので、NHKの集金の方はどうぞ素早くおいでなさってください。溜めた録画はあと半分ほど残っているので、明日中には観ておきたい。受験生でもなければ、大学生でもない。"何にでもない"この数か月。できるだけ多くのことに触れ、味わい、吸収し、咀嚼して、できるだけ多く自分のものにしておき、大学生活のありとあらゆるアウトプットの大いなる糧にしていきたい。

 

 

2015年 ベスト アルバム 30枚(邦楽・洋楽)

 ベストアルバムの文化は終わった。

 

 

 Twitterのタイムラインを眺めていると、そんな文言をしばしば目にする。今回この記事を書くにあたって、過去の自分のツイートを遡っていると、2013年は1年で下記の数だけアルバムを聴いていたらしい。今年は受験があったということもあるが、アルバムという単位では187枚も到底聴いていない。確かに、新譜を大量に聴いて、順位づけて、SNSで発信するという文化は瀕死に近いのかも知れない。しかし、しかしである。例え分母が少なかろうが、胸が震える、何度も何度も聴きたくなるアルバム、曲に出会えたのは今年も変わらない。私は、その素晴らしい音楽を世間に広めたいし、感動を共有したい。別にアクセス数が多いブログでもないし、影響力のある人物でもないが、一介の音楽マニアとして今年もベストアルバムを発表しようと思う。しかし、順位をつける、というのはもうやめたい。邦楽・洋楽、アルバム・単曲関係なく、好きな音楽をただただ垂れ流す記事にしたい。

 

 

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